正しい情報を「届く形」に。患者だった薬剤師だからこそできる活動【畑中聡一郎/薬剤師】

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畑中聡一郎(薬剤師)

母のがん治療をきっかけに薬剤師を志し、地元の調剤薬局に就職。しかし、自身も新卒で働き始めて3ヶ月で悪性脳腫瘍グレード4と診断され、手術・髄膜炎・抗がん剤治療を経験。闘病と社会復帰を経て、患者に届かない医療情報の課題を痛感した。現在は、医療機関や企業のYouTube設計・動画制作を支援し、正しい医療情報を受け取りやすい形に整える仕事に挑戦している。

記事の見どころ
  • 薬剤師として歩み始めた直後に訪れた、人生を揺るがす診断
  • 闘病経験から見えた「正しい医療情報が届かない」という課題
  • 動画制作を通じて医療と患者をつなぎ、社会復帰を支援したい

薬剤師を目指したきっかけを教えてください。

畑中聡一郎

母の闘病経験が大きく関わっています。

中学3年生の時に母が乳がんを患い、私が高校生の時には悪性リンパ腫の治療も経験しました。抗がん剤治療を受ける母の姿をそばで見ていたこと、そして幼い頃から「医療従事者になりなさい」といわれて育ってきたこともあり、進路を考える頃には、自然と医療の道を意識するようになっていました。

当時の自分の中では、医師か薬剤師か、という二択に近い感覚でした。結果的に薬剤師を選んだのは、母の治療を通して「がん治療に薬を介して関わりたい」と思ったからです。抗がん剤治療は、患者さまの人生にとても深く関わる治療です。だからこそ、薬という立場から患者さまを支えられる仕事に魅力を感じました。

大学に入ってからも思いは変わらず、薬局薬剤師として、外来で抗がん剤治療を受けながら生活している方と、より身近に関わりたいと考えていました。実務実習などを通して、就職先に迷う瞬間がなかったわけではありませんが、最終的には当初に思い描いていた通り、地元の調剤薬局に就職しました。振り返ると、進路についてはかなり一貫していたと思います。

社会人になってからはいかがでしたか?

畑中聡一郎

スタートはとても充実していました。

新卒で入職した調剤薬局は、職場環境にも恵まれていて、社会人としてのスタートはとても充実していました。先輩方とも仲が良く、朝5時に一緒に走って温泉に行き、そのまま出勤するような日もあったくらいです。もちろん、1日8時間働く生活に慣れる大変さはありましたが「これから薬剤師として頑張っていこう」と前向きに思えていました。

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入職して3ヶ月ほど経った頃、身体に異変が出始めました。

起床時の強い頭痛、吐き気、ひどい倦怠感。睡眠をしっかり取っても、翌朝には床で寝た後のように身体が重い。今思い返せば、大学5年生くらいの頃から、旅行先でひどく疲れやすいなど、少しずつ兆候はあったのかもしれません。やがて視界が歪むようになり、職場の健康診断でその症状を伝えたことが、病気の発見につながりました。

最初に「脳腫瘍の疑いが高い」と告げられたのは、眼科でした。右を見た時だけ視界が歪む症状を指摘され、眼底検査を受けたところ、脳圧の上昇によって目の奥の神経付近に出血が起きているといわれたんです。

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MRIなどで精密検査を受ける前に、突然「脳腫瘍の疑いが高い」といわれた瞬間が、一番大きな衝撃でした。

自分でもインターネットで調べていたので、脳腫瘍の可能性を全く考えていなかったわけではありません。それでも、実際に医師から告げられると、頭の中が真っ白になりました。

その日は、2020年7月の熊本豪雨の時期でした。猛烈な雨が降る中、ただ呆然と立ち尽くし、びしょ濡れになって車に戻ったことを今でも覚えています。その後、すぐに大学病院で精密検査を受け、悪性脳腫瘍のグレード4と診断されました。

手術では腫瘍組織の採取と、脳圧を下げる処置が行われましたが、その後に髄膜炎を発症。40度の高熱と、10段階では表せないほどの激しい頭痛が2週間続きました。

さらに腫瘍の組織診断に時間を要し、コロナ禍で外出や退院の制限も厳しかったため、そのまま抗がん剤治療の1コース目に入ることになりました。1ヶ月単位のコースを計3回経て、ようやく外出できるようになったのは、同年11月中旬頃でした。

畑中聡一郎

苦しい時間の中にも、人との出会いがありました。

治療は決して楽なものではありませんでしたが、大学時代から付き合っていたパートナー、地元の友人たち、病棟で出会った同世代の方、看護師さんや医療スタッフの存在に何度も支えられました。同じ病棟で出会った仲間とは、今も交流が続いていて、一緒にチャリティーイベントを行うこともあります。

闘病は大きな試練でしたが、それを通して得たつながりも、自分の人生にとってかけがえのないものになっています。

SNS発信を始めたのはなぜですか?

畑中聡一郎

「この経験を少しでも誰かの役に立てたい」と思うようになったからです。

最初から事業を考えていたわけではありません。2020年当時は、Instagramのリールもまだなく、今のように動画が大きく拡散される時代ではありませんでした。最初は、自分の個人アカウントで闘病の記録を残す、アルバムのような感覚で投稿していたんです。

その後、治療を終えて少しずつ社会復帰できるようになった頃「この経験を少しでも誰かの役に立てたい」と思うようになりました。自分が病気を経験したからこそ伝えられることがある。患者さまの立場を知っている薬剤師だからこそ、届けられる言葉がある。そう考え、Instagramで闘病経験の発信を本格的に始めました。

そこからメディアの取材を受ける機会が増え、同じようにがんと向き合う人たちとのオフラインでの交流や、レモネードスタンドのようなチャリティーイベントにも関わるようになっていきました。

畑中聡一郎

発信を続ける中で、医療情報を正しく伝える事の難しさに気づきました。

SNS上には、重曹とクエン酸水でがんが治る、糖質はがんのエサになる、抗がん剤は医師の金儲けだ、といった誤った情報があふれていました。

薬剤師として見れば明らかに不正確な内容でも、不安につけ込むように広がっていく。情報へのアクセスがしやすくなった一方で、何が正しいのかを見極める負担が、患者さま側に大きくのしかかっていることを実感しました。

一方で、医療機関や企業がもっている正しい情報も、患者さまが受け取りやすい形に整えられていないことが多いと感じました。ガイドラインに準拠した情報があっても、文章が難し過ぎたり、パンフレットだけで終わっていたりして、必要な人の目に届かない。特に高齢の患者さまにとっては、そもそも情報にアクセスするハードルもあります。

正しい情報は存在しているのに、患者さまが受け取っているのは、SNS上の極端で感情的な情報ばかり——。その断絶に強い課題意識をもちました。

畑中聡一郎

そこから、YouTubeや動画制作、SNSマーケティングを本格的に学び始めました。

独学で情報を集め、実際にYouTubeを運用している知人にも話を聞き、動画編集については講座にも通いながら効率化していきました。YouTubeは初速が重要だと学び、戦略的に動いた結果、収益化は開始から約2週間で達成できました。自分で試行錯誤しながら培ったこの経験が、現在の事業へとつながっています。

現在の活動について教えてください。

現在は、医療機関や企業に向けて、YouTubeの設計・動画制作・運用支援を行っています。単に動画をつくるのではなく「正しい情報を届く形で設計すること」にこだわっています

最初から順調に仕事が増えたわけではありません。実績がない中で案件を獲得するのは簡単ではなく、当初はインフルエンサーマーケティングの形で、がん患者さまに本当に役立つと感じた商品を紹介する仕事や、YouTubeの広告収益などを中心に動いていました。

畑中聡一郎

正しい情報があるだけでは、人には届きません。

ちゃんと伝わる形にしなければ、必要な人の判断を支えることはできません。医療機関や企業がもつ専門性や思いを、SNSや動画を通じて患者さまや生活者が受け取りやすい形に整え、必要な人との橋渡しをすることもまた、1つの医療の形だと思っています。

これからも、 医療情報を患者さまが安心して受け取りやすい形に整え、必要なサービスと必要としている人をつなぐ「橋渡し役」であり続けたいと思っています。

今後の展望を教えてください。

今の働き方を選んだ背景には、自分自身の闘病経験が影響しています。

病気を経験すると、以前と同じように働き続けることが難しくなる場合があります。フルタイムで働ける日もあれば、体調に合わせて調整が必要な時もある。だからこそ、自分の働き方をある程度コントロールできる状態をつくりたいと思って、独立の道を決めました。

畑中聡一郎

将来的には、がん患者さまの社会復帰支援にも取り組みたいです。

私自身、治療を終えてからフルタイムで社会復帰するまでに約1年かかっています。その間は週2〜3日働くのが精いっぱいでしたが、働き始めると傷病手当が受けられなくなる一方で、治療費や通院費は続いていきます。働くか、完全に休むかの二択しかないような制度の狭間で、金銭的にも精神的にも厳しさを感じました。

こうした経験から、今後は、治療後の移行期にある人を支える仕組みをつくりたいと思っています。現在、がん経験者が治療中の患者さまの話を聞くピアサポートの活動はありますが、多くはボランティアで行われています。大切な支援である一方、無償の善意だけに頼る形では継続が困難です。

そこで、将来的には、一般社団法人やNPOのような形も視野に入れながら、社会復帰支援とピアサポートにきちんと対価が生まれる持続可能な仕組みをつくれないかと考えています。

畑中聡一郎

直近では、医療機関・企業向けの動画支援の精度をさらに高め、より多くの支援先を増やすことが目標です。

ゆくゆくは、医療従事者で構成された、正しい情報を患者さまに届きやすい形に整えるチームをつくりたいと思っています。患者さまと企業、医療機関の間に立って、正しい情報をわかりやすく届けられる人材を増やしていくことが、これからの大きな挑戦です。

最後に読者へのメッセージをお願いします。

畑中聡一郎

今はつらいと感じる事でも、きっと全てのことに意味があります!

私は新卒3ヶ月でがんが見つかり、想像していた社会人生活とはまったく違う道を歩むことになりました。もちろん、大変なことはたくさんありました。「どうして自分が」と思ったこともあります。でも、今は、その経験の全てに意味があったと感じています。

つらい経験は、すぐに前向きに受け止められるものではありません。でも、時間が経った時に、その経験が誰かを支える力になることがあります。私にとって闘病経験は、患者さまの不安や情報の受けとり方を、実感をもって理解する土台になりました。

畑中聡一郎

病気を経験した人も、そうでない人も、自分の経験が「誰かの力」になる可能性をもっています。

もし今、過去の出来事を「ただつらかった」で終わらせそうになっている人がいたら、いつかそれが別の意味をもつ日が来るかもしれないと、少しだけ信じてみてほしいです。私も、自分の経験を糧に、これからも患者さまや医療現場の力になれるよう歩んでいきます。

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