
中田逸星(柔道整復師)
格闘技と筋トレへの没頭をきっかけに身体への関心を深め、柔道整復師を志す。専門学校卒業後は接骨院で働くも、父の体調不良により一度現場を離れ、周囲に置いていかれる悔しさから自費整体の道へ進み、上京後に独立を決意。現在は「患者様とスタッフの人生の宝物を増やす」を掲げ、整体院を経営しながら店舗展開を進めている。
記事の見どころ
- 格闘技と筋トレへの没頭が、柔道整復師という進路につながった
- 家庭の事情で現場を離れた悔しさが、自費整体・独立への推進力に
- 「人生の宝物を増やす」を軸に、温かい社会を目指す
目次
柔道整復師を目指したきっかけを教えてください。

高校2年生の時に始めた筋トレでした。
中学3年生の終わり頃からボクシングを始めました。続けていくうちに、少しずつ実力がついてきた実感はあったのですが、当時の私はかなり細身で、見た目はまだ「弱そう」に見えていたんです。
せっかく強くなってきたのに、見た目がそれに追いついていない。だったら、身体も大きくして見た目から強くなろう。そう思って筋トレを始めました。

最初は格闘技のための筋トレだったはずが、気付けば筋トレそのものに強く惹かれていました。
筋トレにのめり込んでいた時期は、本当に筋トレのことしか考えられないほどでした。実は当時、ボクシングのプロを目指していたのですが、筋トレへの熱量が勝ってしまい、アマチュアデビュー戦を最後の試合にすると決め、最初の試合で会長に引退宣言をするような形になりました。
今振り返ると極端な決断だったと思います。でも、そのくらい「身体が変わること」に夢中になっていました。どうすれば効率よく鍛えられるのか、筋肉はどうつくのか、体の仕組みをもっと知りたい。そうした関心が強くなり、高校卒業後は柔道整復師を目指して専門学校に進学しました。
これまでの経歴を教えてください。
2017年4月に専門学校へ入学し、2020年3月に卒業しました。卒業後は大手接骨院グループに就職し、柔道整復師としてのキャリアをスタートさせました。
しかし、同年12月に家庭の事情で退職することになります。一度、医療職の現場から離れることになりました。

悔しさはかなりありました。
正直に言えば、もっと現場で経験を積みたかったです。専門学校の同級生たちはその間にも現場でキャリアを重ね、院長や副院長になっていきました。もちろん、それぞれが努力して積み上げた結果です。でも、自分がやりたくてもできなかった状況に対して「負けたくない」という思いが強くなっていきました。
家庭の状況が落ち着いてから、再び施術の世界に戻りましたが、以前と同じ保険診療の接骨院に戻るのではなく、保険外の自費整体の道に進みました。
同じ土俵に戻ったとしても、時間を積み重ねてきた人たちとの差を埋めるのは簡単ではありません。もちろん努力次第で成長はできます。しかし同じルールの中で戦い続ける限り、経験という積み重ねは大きなアドバンテージになります。そこで私は考えました。そもそも同じゲームで戦い続ける必要があるのだろうか、と。
例えば、同じ陸上競技でも、100m走とマラソンでは求められる能力が違います。どちらが優れているという話ではなく、競技そのものが違うのです。私は、保険が使える接骨院業界と自費の整体業界にも似たものを感じました。
接骨院では、限られた時間の中で的確な施術を行う力が求められます。一方整体では、患者さまと向き合う時間が長くなります 。時間が長くなればなるほど、施術技術だけでなく、コミュニケーション能力や信頼関係を築く力など、求められるスキルも変わってきます。

どちらが良い悪いではありません。
ただ私は、自分自身をもっと成長させたいと思ったとき、より多くの能力が求められる環境に身を置きたいと考えました。だから接骨院業界で先行者を追いかけるのではなく、自費の整体業界という別のフィールドに挑戦することを選びました。自費整体であれば、提供する価値も求められる水準もより高いはずだとも思っていました。
2023年7月、上京して整体グループに就職しました。保険診療とは異なる環境の中で、患者さま一人ひとりとより深く向き合う自費整体の世界に身を置くようになります。
その後、2023年11月に現在の事業の師匠と出会いました。施術の師匠ではなく、経営の師匠です。年齢も近く、思考や行動のタイプが自分と似ていると直感的に感じました。「この人のそばで学べば、数年後の自分の姿が具体的に見える」と思い、経営について学ぶようになりました。

独立後に大きく役立ったのが、父から昔から教えられていた簿記や財務の知識です。
父は数字や経理に強く、私にも複式簿記を教えてくれていました。当時は必要性を深く理解できていませんでしたが、実際に事業を始めてから、PL(損益計算書)やBS(貸借対照表)を読めること、経理を自分で把握できることの大切さを実感しました。
そして2024年5月、現在の整体院をオープンしました。2026年2月には法人を設立し、今は整体院の運営を軸に事業を展開しています。
独立を決意した大きなきっかけは何ですか?
上京して4ヶ月ほど経った頃、私がずっと大ファンだった総合格闘家の方にお会いできる機会がありました。以前からのファンだったので、その出会い自体が非常に大きな出来事でした。その後、その方を紹介してくださった先輩から「一緒に仕事をしないか」と声をかけていただきました。
ありがたい話だったので、前向きに考えました。ただ、そのことを父に電話で伝えた時、返ってきたのは「やるのはいい。でもリスクヘッジはしておけ」という言葉でした。
人気や知名度に紐づく仕事は、自分の意思だけではどうにもならない部分もある。相手に依存しすぎる形ではなく、自分自身の事業基盤を持っておくべきだ。父はそういう意味で、現実的な助言をしてくれました。
父の言葉を聞いた時に、それなら独立しようと思いました。元々父からは以前から独立を勧められていましたし、自分自身も、どうせやるならゆくゆくは自分の城を持ちたいという気持ちを持っていたので、経営の師匠にも相談しながら最終的に独立を決断しました。

今の活動の根底にあるのは「患者さまとスタッフの人生の宝物を増やす」という思いです。
会社をつくるにあたって、MVV(ミッション、ヴィジョン、バリュー)をただ掲げるだけのものにしたくなかったんです。自分たちは何のために存在し、どんな価値を社会に届けていくのかを、本気で言語化したいと思いました。
その時に考えたのが、社会全体で人と人とのつながりが少しずつ薄くなっているのではないか、ということでした。AIやデジタル化が進み、便利になる一方で、心から寄り添う関係性や、人の温かさを感じる機会は減っているように思います。
私自身、家族や兄弟との関係がとても近く、形のない思い出や絆のようなものを大切にしてきました。育ってきた環境も、町の大人たちがみんなで子どもを見守るような、温度のある場所でした。そういう人とのつながりが、人生において大きな財産になると感じています。

患者さまと接する中でも、本当にうれしかったのは、その方の人生に残る思い出や関係性が増えていくことです。
施術・技術を褒められること以上に「家族と過ごす時間が増えました」「先生と出会って希望が持てました」といった言葉をいただくことがうれしいです。
身体が楽になることで、できなかったことができるようになる。痛みが減ることで、大切な人と過ごす時間が増える。そうやって、その方の人生に残る思い出や関係性が増えていくといった、その先の変化にこそ大きな価値があると思っています。
これからどんなブランドを作っていきたいですか?

純粋想起されるブランドを目指したいです。
純粋想起とは、ヒントがなくてもブランド名やロゴ、キャラクターが自然と頭に浮かぶ状態です。私も、整体院の名前やマークを見た時に「あそこができたんだ」と地域の方に自然に思い出してもらえる存在を目指しています。
ブランドイメージの中心に置いているのは、温かさ、平和、安心感です。看板を見れば、なんとなく心がゆるむ。何かあった時に駆け込めるような安心感がある。そこに通う人だけでなく、地域全体にとっても、少し気持ちがあたたかくなるような存在になりたいと考えています。
事業が広がることで、心に温もりを持つ人が増え、人と人との絆や大切な思い出が増えていく。結果として、人生の宝物が増える人を増やしていきたいです。

今年は新たに1店舗の出店を予定しており、今後都内以外の地方への展開も計画しています。
当初はフランチャイズという選択肢も考えていましたが、最終的には直営で進める判断をしました。自分でリスクを背負った方が意思決定が速く、ブランドの価値観も守りやすいと考えたからです。
また、長期的な目標として、60歳の時点で年商1,100億円という数字も掲げています。ただし、これは売り上げそのものが最終目的ではありません。ブランドがどこまで社会に浸透したかを可視化し、自分自身が走るための指標として数値化しているものです。
定性的な理想だけでなく、定量的な目標がある方が進むべきルートを描きやすいので、両方を大切にしています。

ここ半年ほどは、自分自身の動きが遅くなっていることに悩んでいました。
元々は、まず行動して、必要なら後から修正するタイプでした。しかし、経験を積む中で、きれいに進めたい、完璧に整えてから動きたいという意識が強くなり、タスク処理の速度が落ちていたんです。実際の業務量以上に「忙しい」と感じるようになり、思うように動けない自分に腹が立っていました。
しかし、先日、浜松で先輩経営者の現場を見学させてもらい、以前の自分が持っていた行動の速さを思い出しました。20代の今、最初からきれいにやろうとしすぎる必要はない。まず動き、走りながら磨いていく。その感覚を取り戻せたことで、長く抱えていたモヤモヤが一気に晴れました。
これからの出店や組織づくりに向けても、完璧さに足を止められるのではなく、スピード感を持って前に進んでいきたいと思っています。
最後に読者へメッセージをお願いします。
私は、最初から明確なキャリアの設計図を持っていたわけではありません。格闘技が好きで、筋トレに夢中になり、そこから身体への興味が深まって柔道整復師を目指しました。就職後には家族の事情で一度現場を離れ、周囲に置いていかれるような悔しさも味わいました。
それでも、その時々で自分なりに考え、選択し、前に進んできました。保険診療の世界に戻るのではなく自費整体に進んだことも、独立を決めたことも、自分の可能性を広げるための選択だったと思っています。

医療職や福祉職は、決められた環境の中だけで働くものではないと思っています。
資格や専門性を土台にしながら、自分が本当に届けたい価値を考え、その形を選び取っていくことができます。働き方も、社会との関わり方も、1つではありません。
患者さまにも、スタッフにも「ここに関われてよかった」と感じてもらえる場所をつくりたいですし、その輪を少しずつ広げながら、温かい人や思い出が増える社会に近づけていきたいです。
この記事を読んで、柔道整復師としての可能性を広げたい、医療職として病院や施設の外にもある選択肢を知りたいと感じた方は、hospassのLINE公式に登録して、最新情報をキャッチしていきましょう。
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