- 幼少期の通院経験から、看護師を志した
- 急性期病棟とコロナ禍で見えた「今の時間を残す」意味
- 看護師の観察力とリスク管理を活かした、撮影体験へのこだわり
看護師を目指したきっかけを教えてください。

大きなきっかけは、4歳くらいの頃に経験した病気と通院でした。
年中さんの頃、私はペルテス病という股関節の病気になりました。約2年間、外転装具という装具をつけて過ごし、リハビリにも通っていました。リハビリの先生との時間もありましたが、私の記憶に強く残っているのは、ずっと寄り添ってくれた看護師さんの存在です。
当時の私は、病気に対して強い不安を抱いていた記憶はあまりありません。ただ、その看護師さんがいつも心配して声をかけてくれていたことは、今でも鮮明に覚えています。顔もうっすら覚えているくらいです。多分、私はその看護師さんのことが大好きだったのだと思います。
大学受験を意識し始めた時に「このまま看護師に進んでいいのだろうか」と考えたことはあります。それでも、長く憧れてきた仕事でしたし、私は人の世話をすることが好きなタイプでもありました。長女ということもあるのか、昔から周りの人の面倒を見てしまうところがありました。
やはり、あの時の看護師さんが、私の中で「看護師」という仕事を特別なものにしてくれたのだと思います。
大学病院ではどのような経験をしましたか?
大学進学後、看護師として最初に就職したのは関東の大学病院でした。
私は福岡の看護大学に通っていましたが、なんとなく関東に出たい気持ちがありました。最初は大学病院で基礎を積んだ方が、どこに行っても通用するのではないかとも考えていました。
就職先を選ぶ時に重視していたのは、教育体制です。実際に病院見学に行った時、病棟の様子やサポート体制がとても丁寧だと感じました。

最初に配属されたのは、呼吸器・循環器・整形など、さまざまな患者さまが来る急性期の病棟でした。
本当は、患者さまとゆっくりコミュニケーションを取りながら看護をする慢性期のような領域に興味がありました。ただ、配属希望では内科・外科まで細かく選べるわけではなく、呼吸器循環器や整形といった形で希望を出しました。
結果的には、かなり超急性期に近い病棟に配属されました。最初は想定外でしたが、大学時代の教授から「急性期が合っていると思う」といわれたこともあり、今振り返ると本当に合っていたのだと思います。
忙しい病棟でしたが、同期にも恵まれていました。しんどい時期ももちろんありましたが、結果的にはその忙しさが自分には合っていました。もし今、病院に戻るなら、また急性期を選ぶと思います。そう言えるくらい、急性期での看護は楽しかったです。
4年目の1年間は、プリセプターも経験しました。そのタイミングで新型コロナウイルスが広がり始め、病棟から転床した患者さまがコロナを発症する出来事がありました。まだ感染対策の体制を整えている最中で、病棟の看護師の半分ほどが濃厚接触者扱いになり、私も2週間ほど自宅待機することになりました。

その後の1年は、コロナの重症患者さまと向き合う、これまでとはまったく違う病棟を経験した期間でした。
感染対策を改めて学び直し、病棟全体で手探りの中、必死に取り組んでいました。この時期の経験は、後のフォトグラファーとしての活動にもつながっていきます。
HCUでは、患者さまとご家族が簡単に会えない場面をたくさん見てきました。面会時間は限られていて、ご家族が会えるのは短い時間だけです。でも、重症の患者さまにとっても、ご家族にとっても、その時間はとても大切なものでした。
頑張っている患者さまと、支えるご家族。その姿をそばで見ていて「この時間を残してあげたい」と思うことがありました。コロナ禍で、大切な人に簡単に会えなくなる現実を多くの人が感じた時期だったからこそ、その思いはさらに強くなりました。
写真との出会いや転機について教えてください。

元々、写真は私にとって身近な存在でした。
私の家族は、写真をよく残す家でした。自分の部屋にも、母が撮ってくれた小さい頃の写真が額に入ってたくさん飾られていました。大学生くらいからは、友人を撮るようにもなり、思い出を残したり、その子の新しい一面を写真に残したりすることに魅力を感じていました。
ただ、カメラマンになれるとは思っていませんでした。当時は看護師を目指していましたし、フォトグラファーは夢のまた夢のような世界でした。

転機になったのは、コロナ禍で2週間ほど自宅待機した時期です。
オンライン講座が急速に広がった頃で、趣味を磨くつもりで写真を学び始めました。最初から仕事にするつもりだったわけではありません。でも、写真を学ぶ中で、看護師として見てきた景色が次々と思い出されたのです。
例えば、脳神経系の病気だった患者さまのことです。あまり笑わず、ずっと天井を見つめているような方でした。看護の一環で、ご家族の写真や愛犬の写真を病室に飾ることがあります。その方に愛犬の写真を見せながら話しかけた時、不意に笑ったことがありました。認知症のおばあちゃんにお孫さんの写真を見せると、急にお孫さんの話を始めて、笑顔になることもありました。
写真は、ただの物ではない。写真には、記憶を呼び起こす力がある。人の表情や心を動かす力がある。看護師として働く中で、私は何度もそう感じていました。だからこそ、写真をただ趣味として終わらせるのではなく、自分にしかできない形で誰かに届けられるかもしれないと思うようになりました。
看護師を辞めた理由は、看護が嫌になったからではありません。むしろ、看護師の仕事は楽しかったですし、戻れといわれれば今でも戻れると思っています。しんどくなって辞めたのではなく「挑戦したいことができた」という感覚でした。

その挑戦を後押ししてくれたのが、看護師という国家資格でした。
看護師の資格があるから、もしもの時には戻れる。そう思えたからこそ、思い切ってフォトグラファーの道へ進むことができました。資格があることは、病院の中だけで働くためのものではなく、新しい挑戦をするための安全網にもなるのだと感じています。
最終的には勢いも大きかったです。プロを目指す養成講座の存在を知り「今しかない」と思って飛び込みました。やるしかない状況に自分を持っていけば、私はきっとやる。そう思えたことも大きかったです。
フォトグラファーとしての活動について教えてください。
フォトグラファーとしての最初の仕事は、撮影会社の業務委託でした。ファミリーやニューボーンなど、幅広いジャンルの撮影を担当していました。
その後、約3年前からは完全に独立しました。現在も最初の撮影会社には籍を残していますが、そこを通して受けるのは既存のリピーターさんのみで、今は集客の約9割がInstagram経由です。

独立していく過程では、看護師の資格も活かしました。
最初はコロナ関連の電話相談窓口でリーダーとして派遣勤務をしながら、少しずつ撮影の比率を増やしていきました。最初は週4日ほど派遣で働き、土日を撮影にあてていましたが、1年後には派遣が週2日ほどになり、徐々に写真の仕事が中心になっていきました。
Instagramでは、約3年から3年半、毎日投稿を続けました。休憩時間に投稿できるように時間を調整したり、予約投稿を活用したりしながら続けていました。毎日投稿を長く続けられたのは、好きなことだったからだと思います。今後はリール中心の運用に切り替えていきたいです。
撮影ジャンルとしては、ウェディングを主軸にしています。元々友人を街中で撮るポートレートが好きだったこともあり、日常の街の中に非日常を掛け合わせるような写真に惹かれていました。
ウェディングフォトというと、定番の場所やポーズ、いわゆる「ザ・ウェディング」のような型があります。もちろん、そうした雰囲気に憧れる方もいます。ただ、その一方で、もっと自由に、もっと自分たちらしく楽しみたいカップルもいるはずだと思いました。

そこで力を入れるようになったのが、ストリートウェディングです。
街の中で、日常と非日常を掛け合わせながら、その二人らしさを残していく撮影です。当時、日本ではまだそこまで広がっていなかったので、他の人との差別化にもつながりました。
私が撮影で一番大切にしているのは、仕上がった写真だけではありません。もちろん、写真そのものは綺麗に仕上げます。でも、それ以上に大切にしているのは「撮影体験」です。撮影をしているその時間自体が、お二人にとって思い出として残ってほしいと思っています。
ウェディングフォトでは、事前にZoomで打ち合わせを行います。不安なことがあれば事前に相談してもらい、準備の段階からなるべく困らないようにしています。当日を、できるだけ楽しみな気持ちで迎えてもらいたいからです。

看護師時代の情報収集やリスク管理の経験が、とても活きています。
看護師の頃は、勤務前に患者さまの情報をノートにまとめ、起こり得るリスクや当日の動きを整理していました。今もそれをカメラマン版として行っています。当日のスケジュール管理や、トラブルが起きた時の臨機応変な対応にも、看護師時代の経験がつながっています。
写真はあくまで媒体です。でも、その媒体を通して、今の幸せや、その人らしさを未来に残すことができます。振り返った時に「あの時、こんな時間があったな」と思える支えになる。私はそのために、写真を届けているのだと思います。
今後の活動の展望をお聞かせください。
今後も、ウェディングフォトをメインに続けていくと思います。ただ、看護師としての経験と写真を掛け合わせた撮影にも挑戦していきたいです。病院で頑張っている患者さまやご家族の「今の時間」も残したいという思いもありますが、医療現場での撮影には、許可や安全面、倫理面など、さまざまなハードルがあります。
過去には、ボランティアとして、小児の患者さまの同行旅行にカメラマンとして参加したことがあります。看護師さんや医師と一緒に、ディズニーランドへ行く旅行に同行して撮影しました。カメラマンでありながら看護師でもあることは、ご家族にとって少し安心感につながったのではないかと思っています。
これからも、チャンスがあれば、医療と写真をつなげるような活動にも関わっていきたいです。

私が写真を通して伝えたいのは「あなたがあなたらしくいていい」ということです。
今はSNSが発達し、映える写真や定番の形に意識が向きやすい時代です。でも、それは本当にその人らしいのか。その人たちらしいのか。私はよく考えます。
最初は「こういう写真が正解」という型にとらわれている方も、話をしていくうちに、実は二人らしさに惹かれて依頼してくださっていることもあります。
これからも、写真を通して、その人やその二人が、自分たちらしさを大切にできるようにサポートしたいと思っています。写真をきっかけに、自分のことをもっと好きになってもらえたらうれしいです。
最後に、読者の方へメッセージをお願いします。
私は、写真という媒体を通して一歩を踏み出しました。でも、そのきっかけは看護の現場で感じたことでした。患者さまやご家族の時間を見てきたこと、写真が記憶を呼び起こす瞬間を見てきたこと。その全てが、今の仕事につながっています。
看護師がしんどくなって辞めてしまう方もいると思います。もちろん、それは簡単なことではないし、不安もあると思います。でも、医療現場で感じたことや経験したことは、次の人生の起点や転換期になることもあります。

国家資格があるからこそ挑戦できることは、社会の中にたくさんあります。
看護師という資格は、病院に縛られるためのものではなく自分の可能性を広げる土台にもなると思っています。
私自身、一歩踏み出したことに後悔はありません。成功しているから後悔がない、というよりも、一歩踏み出したからこそ見えた景色がありました。辞めたからこそ、看護師時代を振り返ることもできました。
勇気は必要ですが、不安を感じすぎずに一歩挑戦してみることは、とても大切なことだと思います。





新谷彩花(看護師)
幼少期にペルテス病を経験し、寄り添ってくれた看護師への憧れから看護師を志す。大学病院の急性期・HCUで4年間勤務し、患者さまや家族の大切な時間を見つめてきた。コロナ禍の休職期間をきっかけに写真を学び、看護現場で感じた「今を残す」意義を写真で届けたいとフォトグラファーへ転身。現在はウェディングフォトの撮影を中心に、看護師時代の観察力やリスク管理を活かしながら、その人らしさを残す撮影体験を届けている。