「おうちde医療」を、社会で当たり前なサービスにしたい【出塚豪記 / 放射線技師】

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出塚豪記(放射線技師)

放射線技師の免許取得後、11年間臨床経験を積む。働くなかで、医療×ITの可能性を感じ、医療画像情報システム(PACS)会社へ転職。2024年11月に起業し、現在は在宅医療特化のメディア「おうちde医療」を運営。患者さまが医療サービスを探せるようになること、それによる在宅医療の質向上を目指している。

記事の見どころ
  • 元々は航空大学校を目指していた?医療系へ進学した背景とは
  • 医療×ITで、医療電子書籍の立ち上げからグロースを担う。
  • 「おうちde医療」を、社会にとって当たり前なサービスに。

放射線技師を目指したきっかけを教えてください

出塚豪記

社会にとって必要な存在だと思ったからです。

兄がパイロットをしており、私も憧れを抱いていました。高校3年生の時に、航空大学校を受験しましたが、落ちてしまったんです。勉強の準備がうまくできていなかったんですよね。

他にこれと言って行きたい大学もなく共通一次の試験にも間に合わず、どうしようか考えた末に、医療系に進もうと決断しました。

放射線技師を選択した理由は、病院で写真を撮る技術が進歩していくタイミングで、放射線技師が足りない現状があったからです。

身内にご病気の方がいて助けたいと思って目指したり、親が医療職をしており憧れて志したりするケースが多いのかもしれませんが、私はそうではなかったです。

放射線技師として働かれてみていかがでしたか?

出塚豪記

やりがいを感じる反面、収入面での限界も感じました。

11年間、放射線技師として勤務しました。最初の3年間は病院で働きましたが、その後の8年間は、職員の健康診断業務を主とした事業所に付属した診療所で働きました。

毎年同じ方を担当することも多く、バリウムの検診や超音波の検査を通して病気を発見し、感謝されることでやりがいを感じられていました。訪問看護のように長く寄り添うことができていたと感じます。

当時は、3,000人ほどの検査結果を紙媒体で管理していました。刷新する時に3,000枚全てにハンコを押さなければならず、その作業がどうしても嫌で「データで管理した方がよいのでは?」と感じるようになったんです。

そこで、同僚の医師と相談し、汎用ソフトウエアを利用してデータベースで管理するシステムをつくりました。

とはいえ、はじめからプログラミングを習得していた訳ではありません。試行錯誤しながら学び続けて、1年ほどでシステムが完成し無事運用していけるようになりました。

今のようにデジタルが当たり前の時代ではなかったので、一連のシステム構築について知りたいという方が来てくださったこともあり、さらには事業所のトップから表彰される「局長賞」までいただきました。

また、放射線技師としての将来的な収入アップに限界を感じていたなかで「医療×ITで医療を外側から支えていきたい」と強く感じたことを覚えています。

その後のキャリアについて教えてください

出塚豪記

さまざまな事業を伸ばすことができました。

最初に転職したのは、札幌市にある従業員35名のITベンチャー企業でした。PACS(医療用画像管理システム)の会社だったので、放射線技師の経験を活かした仕事をできるかと思いきや、任された事業は医学書の電子配信だったんです。

当時(2001年)、日本でiPhoneやiPadはまだ主流ではない時代です。ただ、欧米の方では電子手帳のような端末が流行っており、ポケットから端末を取り出して、スケジュール確認をしたり、アプリを入れて医療情報を検索できたりする世界ができていました。
これに社長が目をつけ、日本でもやろうと意気込んだんです。

社長プロジェクトだったので、最初は一人組織としてサービスの立ち上げから、営業など開発以外の一連の業務を担いました。2013年には15人ほどの組織になり、3億円ほどの規模まで成長させましたが、どうしても医学書院さんだけは医学書の電子化に応じてもらえませんでした。自社サービスとして提供したかったようです。

当時、医学書院さんをはじめとした医学書出版者5社で医学電子書籍配信の立ち上げを進行しており、その中で自社サービス開発のアドバイスなどもさせてもらいました。すると、やりとりを続けるうちに「医学書院さんの電子書籍を開発して届けていくことも医療の貢献につながるのでは?」と考えるようになったんですよね。

そこで、競合他社ではありましたが、新たな医学電子書籍配信社「医書ジェーピー」に転職することにしたんです。

医書ジェーピーには、5年ほど勤めました。ひと通りやりきったところで、以前立ち上げたサービスがエムスリーに事業譲渡され、エムスリーから手伝って欲しいとの要請があり、市場も大きくなってきたので、エムスリーにジョインしました。

起業したきかっけを教えてください

出塚豪記

家族が手術を受けることになり「情報の大事さ」を感じる出来事がありました。

医師から提案されたのは侵襲性の高い手術で「この手術で大丈夫なのか」と疑問に感じていました。そして、自分で調べていくと、他にもっと侵襲性の低い手術を行っている医師がいることを知ったんです。

私は電子書籍の仕事を行っていたこともあり、医学コンテンツに触れる機会が多く、最適な治療を受けることができましたが、他の患者さまに当てはめると、医療情報を知っているか知らないかで大きく格差が生まれてしまう。そんな現状に気付きました。

そこで、自分のミッションは「理解して、納得して、医療を受ける。そんな世界を作ることだ」と改めて思うようになり、医療新聞社に転職し、ここで現在の事業につながる在宅医療の存在を知ることになりました。

出塚豪記

在宅医の話を聞くなかで、質の高い医療情報を広く患者さまに届けられるプラットフォームが必要だと感じました。

医療情報を発信するメディアは当時からたくさんありましたが、在宅医療にフォーカスすると事業として勝負できそうだと思ったんです。そこで、2024年11月に在宅医療com株式会社を起業し、翌年1月に「おうちde医療」をスタートさせました。

現在行っている事業について教えてください

出塚豪記

医療情報サービス「おうちde医療」を運営しています。

在宅医療については、どの医療機関が良いのか、在宅医療とは何か、どんなサービスがあるのかといった情報発信が不足しており、患者さんは必要な情報を知ることができず、適切に選ぶこともできないのが現状です。

私たちは普段、商品を購入する際には自ら調べて選びますが、在宅医療では同じようにはいきません。しかし、医療サービスは人生を左右しますし、情報を得たうえで選んでいくべきだと思うんです。より一層、人と人との相性が要となる在宅医療なら、なおさらです。

とはいえ、一足飛びにできるものではないので、まずは医療機関の検索サービスを開始しました。2025年1月にサイトをオープンして1万7,000件のクリニックを検索できるように整備。同年4月には、訪問看護、訪問歯科、訪問薬局のカテゴリーも追加し、合計10万件の医療機関を検索できるようになりました。

本人さまだけでなく、ご家族さまや関係機関が利用することで、より詳細な情報から医療系サービスを受けられるようにと切に願っています。

出塚豪記

せっかく在宅に帰れても、医療サービスが良くなく病院に逆戻りしてしまうケースもあるのが現状です。

在宅医療の質を担保する上でも、こうした情報発信は必要だと思っています。

医療保険や介護保険内のみならず、自費サービスも含めて、自分の人生を豊かにし、幸せな最期を迎えられるにはどのサービスを使えばよいかを判断する一つの材料になるとうれしいです。

事業に詰まる想いを教えてください

出塚豪記

社会にとって当たり前を目指しています。

うまくいかないことも多いです。でも、そこがやりがいなんですよね。

高齢者向けであり、なおかつ医療という参入障壁が高い分野。しかも、情報の流れが確立されているなかで、どう入り込んで価値を示すかが勝負だと思っています。

ここ最近は少しずつですが、売り上げも伸びてきています。これまで以上にスケールするためにも事業と向き合い続けたいですね。いつの日か「医療選びに困ったら、まずはおうちde医療のサービスを使うといいね」と思ってもらえるよう、社会にとって当たり前のサービスを目指し続けます。

将来的には、在宅医療の地域包括支援システムのなかで「おうちde医療」のサービスが一端を担えるようになりたいです。

医療の可能性は無限大です。私もいち医療職から現在に至りますので、自分の能力や強みを最大限に発揮できるような医療者が増えると、社会はもっと豊かになると信じています。

私もまだまだ歩みを止めず、進み続けます。

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