- 家族の闘病体験がきっかけで看護師の道へ
- 国立病院、VIP病棟、療養型病院で多様な看護を経験!
- 育休明けの苦しさから生まれた情報発信
看護師を目指したきっかけを教えてください。

姉の存在が大きかったです。
理系科目の方が好きで、早く医療職に就いて自立したいという気持ちもありました。しかし、当時は今ほど調剤薬局の就職先が多くなく、親や先生からも反対されて、進路を変えることになりました。
その時に強く影響したのが、姉の闘病でした。私には姉がいたのですが、学生の頃にがんで亡くなっています。父もがんで亡くしていて、家族の中で病気は決して遠いものではありませんでした。
姉は、親や兄弟には言えない気持ちを、ずっと看護師さんに相談していたそうです。姉が亡くなってからそのことを知った時に「看護師ってただ治療を支えるだけじゃなくて、本人の心を支える職業なんだ」と感じました。家族にも言えない思いを受け止められる看護師という存在に、私は大きな意味を感じましたし、そこから看護師という仕事が、自分にとって一気に身近になりました。
進学先を決めるにあたっても、思い通りだったわけではありません。推薦で他県の看護短大に進む予定もありましたが、親と祖母が同時に入院してしまい、家を出るのが難しくなって、急きょ近くの看護学校へ変更しました。
申し込みの締切が過ぎていた中でも先生が事情を伝えてくれて、何とか道をつないでもらった形なので、私の看護師への道は、家族の事情や人生の流れの中で選び直しながら進んできたものだったと思います。
これまでのご経歴をお聞かせください。

国立病院、私立病院のVIP病棟などで、多様な看護を経験しました。
看護師になってから、国立病院で18年間働きました。新しい部署の立ち上げを任せてもらったり、専従看護師として動いたり、本当に色々な経験をさせてもらいました。新しいことを学びながら、スタンダードな医療や看護を身につけたと思います。
子どもの治療に専念する必要が出てきて、初めて転職を決めました。子どもに重いアレルギーがあり、週3回は治療のため夕方に家にいなければいけなかったんです。
育児短時間勤務をしていても、現実には時間通り帰れないことも多く、実際に子どもがアナフィラキシーを起こしたこともありました。主治医の先生から「お母さん、夕方家にいてあげて」といわれて、自分の働き方を変えるしかないと思いました。そこで選んだのが、夜勤専従のパートとして入れた私立病院のVIP病棟でした。

私立病院は、公立病院とは本当に文化が違いました。
国立病院では、標準的な医療をベースに、新しい知識を取り入れて、根拠ある看護を積み上げていく感覚が強かったです。VIP病棟では、患者さまの希望をできる限りかなえる、接遇を最優先する、という空気がありました。
普通の病院では考えられないような状態の患者さまでも「お風呂に入りたい」と言えばできる限りかなえるし「最後まで食べたい」と言えば、その思いに寄り添う。最初はギャップにかなり戸惑いました。
特に印象に残っているのは、誤嚥性肺炎で、食べれば命を縮めると分かっていながらも、本人も家族も「最後まで食べたい」と望まれたケースです。奥さんが最期まで食べさせてあげて、その方は穏やかな表情で亡くなられました。
その姿を見て、私は「医療って何だろう」とすごく考えました。治療を優先して苦しみながら延命することだけが正解ではなくて、その人らしく最期まで生きることを支える看護もある。病院が変わると、看護の在り方もここまで変わるんだと実感しました。
子どもの症状が落ち着いてきたタイミングで、現在は療養型の病院へ移り、病棟勤務9年目になります。国立病院、私立病院のVIP病棟、療養型病院と経験してきたからこそ、病院によって働き方も、看護観も、患者さまとの関わり方も全然違うことを身をもって知りました。元々は国立病院を定年まで勤め上げるつもりでしたが、結果的にはいろんな看護を知ることができてよかったと思っています。
今の活動を始めるきっかけは何でしたか。

自分自身が育休明けに苦しんだことです。
今は、Instagramで「働くママナース」を応援する発信をしています。
育休復帰直後は、本当に大変でした。内科病棟の経験しかないのにオペ室に配属されて、申し送りで飛び交う略語も、オペ名も、病名も分からない。勉強しないといけないのに、復帰初日に保育園からの呼び出しがあり、復帰した月には入院の付き添いで1週間休むことになりました。
夜泣きが始まって夜も眠れない状況でも仕事に行かないといけなくて、心身ともに限界でした。無理を続けた結果、顔面神経麻痺になりました。自分では「まだ大丈夫」と思っていても、身体はちゃんと悲鳴を上げるんだと、その時に思い知りました。
そして「寝る前の少しの時間で見られて、ちょっとでも学びになるような発信があったら、当時の自分は救われただろうな」と思ったんです。今の時代はスマホがあるので、分厚い本を開かなくても、少しの時間で知識に触れられます。

「基本的なことでいいから届けたい」と思って、今のアカウントを始めました。
情報発信を始めたのは、ちょうど1年ほど前です。他の人の投稿をまとめるアカウントを2〜3年前から少しやっていましたが、自分が本当に伝えたいこととは少し違っていて、今の形に変えました。
最初の半年はコミュニティに入って学びましたが、今は自己流です。コミュニティで知り合った仲間との横のつながりが続いていて、お互いに励まし合いながら発信を続けています。
自分もこの先いつまで現場で働けるか分からないし、多少なりとも副収入につながったらいいなと思っていたのも本音です。ただ、実際にDMで相談が届いたり「夜勤に入れるようになったら最初に報告します」と言ってもらえたりする中で、私の活動にはちゃんと意味があるんだと感じるようになりました。
これからどのようなことに取り組みたいですか。

もっと相談に乗れる形をつくることです。
今は、働くママナースや育休明けの復職ナースに向けて、短時間で学べる知識や、復職の不安を少しでも軽くする情報を届けています。「仕事と育児の両立を諦めないでほしい、働くママの相談にのりたい、潜在看護師を減らしたい」という思いが、私の活動の核です。
ストーリーで育休明けの悩みを聞くと、驚くほどたくさんの反応が返ってきます。それだけ多くの人が同じところでつまずいているんだと思います。
今後やりたいのは、もっと相談に乗れる形をつくることです。DMで話を聞くのも1つの方法ですが、Zoomなどで復職や両立の悩みを聞けるようなサポートもできたらと思っています。

SNS上の相手だからこそ話せることもあると思いますし、意味が大きい活動だと思っています。
私は子どもの病気でもかなり苦労してきましたし、2人の子どもを育てながら長く働いてきました。小さい時は小さい時の悩みがあり、大きくなればまた別の悩みが出てきます。年代によって大変さは変わるけれど、どの時期にも「誰かに話せたら少し楽になる」瞬間があると思っています。ただ知識を流すアカウントではなくて、話し相手になれる場所にしていきたいです。
働くママだけでなく、若い看護師さんからの相談も来ます。夜勤に入れてもらえない、人間関係がしんどい、こんなことで強くいわれた、自分だけ置いていかれている気がする。相談内容はさまざまですが、みんな1人で抱えて苦しんでいるんだなと感じます。
ママナース支援を軸にしつつも、今の働き方や職場で悩んでいる看護師さんの味方でありたいと思っています。
最後に読者へメッセージをお願いします。

つらい時は人を頼ってもいいんです!
働くママも、復職を考えている人も、今の職場でしんどい思いをしている人も「ちゃんとやらなきゃ、迷惑をかけたくない、自分が頑張ればいい」と思いがちです。私もそうでした。でも、無理し続けると身体が壊れます。悩んでいるなら、まず誰かに話してほしいですし、相談することは甘えでも、弱さでもありません。
そして「悩んでいるより、とりあえずやってみること」です。不安はゼロにならないし、失敗もしないわけじゃない。でも、やらないと何も始まりません。復職したいと思ったら、まずは一歩踏み出してみてください。看護師が働ける場所はたくさんあります。最初の一歩を踏み出すこと自体が、すごく大事だと思っています。
DMを送ることすら、勇気がいる人が多いと分かっています。それでも、気軽に声をかけてもらえたらうれしいです。全部を解決できるわけではなくても、わかる範囲でなら答えられるし、一緒に整理することはできます。看護師として、母として、少し先を歩いてきた人間だからこそ、届けられる言葉があると思っています。
仕事と育児の両立を諦めないでほしい。潜在看護師を減らしたい。働くママナースへのサポートを広げたい。これが、今の私のまっすぐな思いです。





まり(看護師)
姉の闘病体験をきっかけに看護師を志し、国立病院で18年間勤務。その後、子どもの重いアレルギーを機に転職し、VIP病棟や療養型病院でも経験を重ねてきた。自身も育休明けの復職で大きく苦しんだことから、働くママナースや復職ナースを支える発信を開始。短時間で学べる知識と、気軽に相談できる場づくりを通じて、仕事と育児の両立を諦めない看護師を増やそうと活動している。