- 現実的な進路選択から、介護に惹かれていった22年間
- 施設内教育から始まったSNSが、全国へ技術を届ける媒体に
- 現場と経営を知っているからこそ「抱えない介護技術」を広めたい
介護の道に進もうと思ったきっかけを教えてください。

当時の社会背景と自分の性格を踏まえて、現実的な選択をしました。
「昔から介護が大好きで絶対にこの道へ」という入り方ではありませんでした。
私は就職氷河期世代で、高校生の頃は「大学に行っても就職できるとは限らない」といわれました。そんな中で、これから日本は高齢化が進む。だったら、手に職をつけて、必要とされる分野に進みたい。そう考えたのが、介護を選んだ最初の理由です。
誰かの役に立ちたい気持ちは、子どもの頃から強かったと思います。人と関わることも好きでしたし、自分の強みを活かしながら社会貢献性の高い仕事に就けたらいいな、という思いもありました。
仕事として現場に入ってから、経験を積み重ねる中で、介護の奥深さやおもしろさにどんどん惹かれていった感覚です。
昔から好きなことを仕事にするには覚悟がいると考えていました。好きなことを仕事にした結果、それが嫌いになってしまうこともある。なので、最初から強烈な憧れがあったわけではない介護という分野に入り、現場で少しずつ好きになっていけたことは、自分にとって結果的に良かったのかもしれません。
介護専門学校で学び、新卒で特別養護老人ホームに就職したのが、私のキャリアの始まりでした。
特別養護老人ホームでの22年間について聞かせてください。
最初に入職した特別養護老人ホーム(以下、特養)では、22年間勤めました。介護業界では経験年数が長い人は珍しくありませんが、同じ法人・同じ組織で勤続20年を超えるケースはそこまで多くなく、よく驚かれます。
もちろん、ずっと順調だったわけではありません。辞めたいと思ったことも何度もありましたし、人間関係、職場環境、異動、キャリアアップに伴うマネジメントの難しさなど、さまざまな壁にぶつかってきました。

今振り返ると、当時の壁の一つひとつが自分をつくってくれたと思っています。
人間関係で悩んだからこそ対人支援の幅が広がった。部署異動や特養からデイサービスへの異動があったからこそ、環境変化に適応する力がついた。現場職員としてだけではなく、役職者として部下を持つ経験をしたことで、教える側・支える側の責任も学びました。長く続けたからこそ見えたものが、本当にたくさんありました。
最終的に介護課長まで経験しました。ただ、病院色の強い大きな法人だったため、介護士としてのキャリアマップ上は、介護課長が1つの天井でした。令和5年の介護報酬改定の影響で施設経営が厳しくなり、現場の職員の賞与が下がるなど、苦しむ姿を近くで見ることもありました。
自分には現場の改善案があっても、経営への裁量権は限られている。そのもどかしさが、次のキャリアを考えるきっかけになりました。
その後、別施設で施設長を経験しました。経営側の立場に立つことで、数字を見るおもしろさや組織を動かす責任の大きさも学びました。一方で、現場との距離ができていく感覚もありました。
施設長になると、数字や運営管理が主な役割になり、現場職員のすぐ隣で技術を伝える機会はどうしても減っていきます。そこで改めて「自分が本当にやりたいのは、経営そのものではなく、介護技術を広く届けることだった」と気付きました。
現在の活動の中心にあるものは何ですか?

「抱えない介護技術」を広めることです。
介護を受ける方にも余計な負担をかけない。力任せに抱え上げるのではなく、身体の使い方や重心移動を工夫することで、双方にとって安全で楽な介助を実現する。その技術を、もっと多くの現場に届けたいと考えています。
SNSを始めたのは、独立後ではなく、特養にいた頃でした。当時、介護課長として施設内の教育にも関わっていましたが、シフト制の現場では、全職員が同じ研修に参加するのは難しい。時間外の研修を案内しても、子育て中の職員や家庭の事情がある職員は参加しづらい。そんな中で「動画はありませんか?」という声をもらったことが、発信のきっかけになりました。
施設内の連絡ツールに動画を流す方法もありましたが、業務連絡の延長のように感じてしまい、気軽に見てもらいづらい。そこで、当時身近だったTikTokを使って、家でも隙間時間でも見られる形で介護技術を届けようと思いました。最初は、あくまで自分の施設の職員に向けた教材づくりの一環だったんです。
ところが、座り直しに関する動画が数日で約50万回再生されました。その時に初めて「これは自分の施設だけの課題ではない」と気付きました。世の中には、介護技術を学びたいけれど学べる場がない人、腰を痛めながら介助を続けている人、もっと良いやり方があるなら知りたいと感じている人が、想像以上にたくさんいたんです。DMやコメントが続々と届き、この技術は、伝わらなければ意味がないと強く思うようになりました。

独立後は、施設内教育の延長ではなく、社会全体に向けた発信へと切り替えました。
現在はSNSでの情報発信に加え、各地の介護施設に出向いて技術研修の講師を務めています。フォロワーは約30万人に広がり、介護職だけでなく、家族介護をしている方から相談をいただく機会も増えています。
これからも大切にしていきたいことをお聞かせください。

「抱えない介護技術」をぶらさず広めていくことです。
介護職の方々は、学びたい気持ちを強く持っています。現場に行くと「もっと知りたい」「こういう技術を教えてほしい」という声を本当に多くいただきます。一方で、施設運営側が研修費を十分に確保できなかったり、研修への投資優先度が上がりにくかったりする現実もあります。そのギャップを強く感じています。
だからこそ、予算が確保できない施設には、無償で研修に伺うこともあります。もちろん、全てを無償で続けることは難しいですが「本当に困っている現場に届けたい」という思いは大切にしています。SNSで募集することもあれば、こちらから施設へ提案することもあります。現場が求める技術を、できるだけ柔軟な形で届けていきたいです。
また、フリーランス介護士という働き方についても情報提供を行っています。雇用される働き方には安定性がありますが、給与が上がりにくい、休みが取りにくい、シフト調整のストレスがあるなどの悩みもあります。一方で、フリーランスには自由度がある反面、自分で仕事を取り、継続的な関係をつくる責任が伴います。
「フリーランスが絶対に正解」とは思っていません。ただ、介護職の働き方の1つとして、フリーランスという選択肢もあることは知ってほしいと思っています。公式LINEでは、個別の相談を受けながら、その人に合う働き方を一緒に考えています。

SNSでは「介護領域で飛び抜けた存在になりたい」と考えています。
承認欲求や収益目的ではありません。「困った時にまず見に来てもらえる」「この人の発信なら信頼できる」と思ってもらえる存在になりたいからです。
日本には200万〜300万人規模の介護職がいるといわれますが、まだ届いていない方が圧倒的に多いです。介護職だけでなく、在宅で家族を支えている方々にも、もっと技術を届けていきたいです。
最後に、読者へメッセージをお願いします。

私が介護技術を広めたい理由は、介護職のためだけではありません。
もちろん「腰や身体を壊して辞めていく介護職を1人でも減らしたい」という思いは強くあります。でも、それと同じくらい大切なのは、介護を受ける方の負担も減らしたいということです。
介助する側がしんどいと、そのしんどさは必ず相手にも伝わります。逆に、介助者が無理なく動けると、受ける側も安心しやすくなる。介護は、どちらか一方だけが楽になればいいものではなく、双方にとって良い状態をつくるものだと思っています。
今、介護職は人手不足が深刻です。ヘルパーを呼びたくても来てもらえない、支援が必要なのに人がいない、という声を聞くことも増えています。介護職を辞める理由の1つに、身体的負担があります。もし技術によって身体を守れるなら、続けられる人が増えるかもしれない。続けられる人が増えれば、介護を必要とする人の暮らしも守られるかもしれない。私はそう信じています。

介護は、根性論だけで続けるものではありません。
正しい技術があれば、もっと安全に、もっと長く、もっと誇りを持って続けられる仕事です。
自分自身が22年間現場にいて、管理職も経験してきたからこそ、現場が抱える課題も、そこで頑張る人たちの思いも分かるつもりです。これからも、介護の現場で困っている人に、1つでも多くの「知っていてよかった」を届けていきたいと思っています。





木下淳(介護福祉士)
就職氷河期に「手に職をつけたい」と介護専門学校へ進み、特別養護老人ホームで22年間勤務。介護課長、別施設での施設長経験を経て、本当に届けたいのは経営ではなく「抱えない介護技術」だと気づき独立を決断。職員教育の一環として始めたSNS発信は約30万人に広がる。現在は、施設研修や相談対応を展開しつつ、介護職と介護を受ける人の負担を減らすために活動している。