諦めずにチャレンジ!やりたいことは若いうちに全部やろう!【斎藤美月 / 看護師】

取材日:2022/9/9

斎藤 美月(さいとう みづき)

看護師として三次救急の病院に勤務。自分の看護観を追い求めて訪問看護ステーションへ転職。
転職をきっかけに写真のチカラを実感し、プロのカメラマンを目指す。
株式会社ラブグラフに所属し、2022年から出張カメラマンとして活動。
現在、訪問看護師として働きながら、プロのカメラマンとしても活躍している。
hospass運営局
hospass運営局

こんにちは、hospass運営局です!医療系情報メディア【hospass media】では「病院はパスする時代」というスローガンを掲げ、日常のお役立ち情報や病院の外でも活躍している医療職の方々の取材記事を発信させていただいております!

hospass運営局
hospass運営局

訪問看護師として働きながら、プロのカメラマンとしても活躍されている斎藤美月さんを取材させて頂きました!

記事の見どころ
  • 医療職を目指したきっかけ
  • 現在の活動への想い
  • hospassを通して伝えたいこと

看護師を目指そうと思ったきっかけについて教えてください。

看護師さんへの憧れからです。先天性の疾患があり、6歳まで入退院を繰り返してきた経験がきっかけでした。

闘病生活をきっかけに、幼稚園の年少の頃からずっと看護師さんになりたかったんです。小学生の時に、総合学習で将来の夢を発表する機会があり、看護師について調べて発表しました。

その後中学生の時に職場体験にも行き、高校生になる頃にはどんな看護師になろうか、どんな進路で看護師になろうか、と具体的に考えていました。

福島県出身の私は、東日本大震災の日がちょうど卒業式だったんです。災害救護のニュースが多く、災害看護や国内外の災害支援をしたいと考えて、大学は災害看護を学べるところを選びました。大学生のときは、災害ボランティアや研修に参加し、災害看護への憧れがどんどん強くなりました。

実際に憧れの看護師として働いてみてどうでしたか?

ICUの業務はやりがいがあって、キャリアを積みたい想いもありましたが、一方で患者さんに寄り添えているかの不安もありました。

将来的に災害看護を考えていたのでICUを希望しました。ICUの業務は楽しかったし、確かにやりがいもありました。一方で、患者さんに寄り添っているつもりでも、本当にできているのかと不安を感じたんです。

2年目の後半、一般病棟へ異動があり、患者さんとの関わりは増えましたが、病院の業務は多く、患者さんに声をかけられてもすぐに対応できないことに対して、罪悪感を感じるようになりました。もっと患者さんやその家族に寄り添いたいと考えていたので、「私の看護観はここにあるのだろうか」と疑問を抱いていました。

「私の看護観って何だろう、自分は患者さんとどう関わっていきたいのだろうか」と自分を見つめ直し、転職活動を始めました。

病院では患者さん一人一人と向き合えないことが、私には大きなストレスでした。

「私は業務じゃなくて看護がしたい」と面接で伝える中、とある病院の面接官であった看護部長さんからは「業務になってしまうのは仕方ない」と言われてしまい…。

自分の価値観を生かせる職場になかなか出会うことができずにいましたが、めげずに面接を受ける中で、今働いている訪問看護ステーションとの出会いがありました。受けた面接がとても楽しかったんです。

私と同じような想いで働いている方がいることが分かり、「私の看護観はここにある!」と喜びを噛み締めながら訪問看護ステーションで働き始めました。

実際に訪問看護ステーションで働くと、私のやりたかった患者さんやご家族と向き合う看護ができています。どう生きていきたいか、どこで生きていきたいか、どこでどう亡くなっていきたいか、最期は何を大切にしたいか。

看護師だからこそ一緒に考えていけるんだと思います。私の追い求めていた看護は訪問看護にありました。

現在の活動を始めようと思ったきっかけについて教えてください。

元々カメラが好きだったこともありますが、訪問看護師として働いていく中で写真のチカラを実感したからです。

元々、カメラは20歳の時から趣味で始めました。学生の頃からカメラマンへの憧れは少しあって、企業やイベントの撮影、ポートレート撮影をやっていたこともあります。

訪問看護師になって多くの利用者さんと向き合っていく中で、亡くなっていく方もたくさんみてきました。家族と写真を撮るためにお出かけしたい、日常を写真に残して「今を頑張って生きてきて良かった」と写真が今を生きる希望となります。

また、亡くなった後に家族が写真を見返して、「最期までいい笑顔だったね」「最後に旅行にいけてよかったね」という話をしているのをみて、写真はただ思い出を残すツールではないと感じました。

「後悔のない看取りはない」と言われていて、「私たち精一杯頑張ったよね」と、写真を通してこれまでを振り返ることができます。写真の持つチカラ、写真がグリーフケアにも繋がることを実感したので、プロのカメラマンになる決意をしました。

活動内容や想いについて教えてください。

株式会社ラブグラフに所属して出張カメラマンとして活動しています。訪問看護師としてもプロのカメラマンとしても、その人の人生に寄り添っていきたいです。

プロのカメラマンになってから事業を起こしたいと考えていたので、まずは株式会社ラブグラフに所属することが第一関門でした。「小さな幸せを積み重ねて世界を幸せにしていく」という企業理念で、小さな幸せの中に私の撮りたい写真もあると考えたので、株式会社ラブラフに所属しました。研修やカメラマンになるための審査が厳しく、かなり大変でしたが、2022年1月からプロのカメラマンとして活動しています。

訪問看護師でありながらプロのカメラマンとして活動していくことは、私にとって絶対に実現させたい夢でした。夢を掴んだことが、私の原動力になりました。

誰かの希望になる写真を1枚でもいいから撮りたいんです。

もちろんたくさん撮れるならたくさん撮りたいですが、看護師としてもカメラマンとしても、相手の人生に寄り添っていくことを大切にしたいです。寄り添うことができたなら、私は幸せです。看護師でありながらプロのカメラマンであることを生かし、人のために何ができるかを突き詰めていきます。

今後の目標について教えてください。

終末期のグリーフケアや病気と闘う子どもたちや患者さんの生きる希望となるような写真を撮りたいです。

終末期や闘病生活の写真を撮ることに対して抵抗がある方は多く、かなりセンシティブな問題です。ただ、写真には計り知れないチカラがあります。今後は、終末期や闘病生活の写真を撮ることへのハードルを下げていきたいと考えています。

闘病生活の写真を残したいと思ったのは、私自身の経験がきっかけです。入院していた時はしんどかったのであまり思い出したくない出来事なんですが、母に自分の入院生活の写真を見せてもらった時、どんなに管に繋がっていても笑顔だったんです。しんどい入院生活の中で、写真を撮ることは私にとって楽しいことだったんだなと感じました。

海外では、院内フォトスタジオがあって、院内での記憶も楽しい思い出にする文化があります。今後、そんな素敵な文化を日本でも広めていきたいと思っています。

訪問看護師として働いたことで、終末期に写真を撮ることは本人の生きる希望になり、亡くなった後の家族へのグリーフケアに繋がることを実感しています。

今の活動を事業としてやっていくか、一部のコンテンツとして展開していくかはまだ模索中です。終末期や闘病生活の写真を撮ることへのハードルを下げて写真を撮りたいと思ってもらうためには、どんな方法が一番いいのか。試行錯誤しながらカタチにしていくのが今後の目標です。

また、カメラマンとしても看護師としても成長していくことも。欲張りだから両方ともやりたいんです。患者さんや利用者さんに寄り添える人になるために、看護師としても成長していきたいです。看護師でありながらカメラマンでもある。私の強みを最大限に生かすために今後も両立していきます。

hospassを通して伝えたいことは何ですか?

多くの方に終末期や闘病生活を撮影するような活動があることを知ってもらい、対象となる方やご家族に「撮影をしたい」と思ってもらいたいです。

対象となる方やご家族に「撮影をしたい」と思ってもらうことが撮影する上での大切な要素です。生き様を記録するお手伝いをさせていただくためにも、まずは、終末期や闘病生活を撮影するような活動があることを知ってほしいです。

「え、しんどいときに撮影するの?」と、感じると思います。確かにそうなんですが、写真のチカラを感じてほしいのです。センシティブな分野だからこそ、撮影することに語り尽くせぬ価値があります。

私は今、看護師×カメラマンという新しい働き方にチャレンジしています。働き方を変えるにしても基盤は大切だと考えていたので、今日までがむしゃらに突っ走ってきました。私のマインドは、「やりたいことは若いうちに全部やろう。やりたいと思ったときにやらないと一生やらない」です。

どうにかすれば生きていけるし、看護師っていろんな働き方があると思います。看護師は、何かと掛け合わせできる素晴らしい職業です。私の場合はカメラでしたが、皆様も何かやってみたいことがあれば、諦めずにぜひチャレンジしてほしいです。

取材記事を掲載したい方へ