病院外でも看護師の可能性は無限大と伝えたい!【吉田 茉弥 / 看護師】

病院外でも看護師の可能性は無限大と伝えたい!【吉田 茉弥 / 看護師】

取材日:2023/10/23

吉田 茉弥(看護師)

看護師として集中治療室、手術室、心血管センターで勤務した経験を経て、
現在は高松市庵治町にて地域に健康の輪を広げるため、
コミュニティナースとして活動している。

hospass運営局

こんにちは、hospass運営局です。“病院はパスする時代”を創造するべく、医療職限定でチームを組み活動を進めています。

看護師の資格を持ちつつ、現在は高松市庵治町でコミュニティナースをされている吉田さんを取材させて頂きました!

記事の見どころ
  • 現在の活動を始めたきっかけ
  • 現在の活動内容
  • 社会へ与えたい影響

医療の道に進んだきっかけを教えてください!

吉田 茉弥

母の教えがきっかけでした。

母は調理師で手に職があり、一生続けられる仕事だったためか、幼い頃から母に「手に職をつけなさい」と言われて育ちました。その母が入院していた時期があり、そのとき病院内にはさまざまな職種の方がいましたが、看護師が一番病室に来ていて、優しそうな印象があったんです。

その経験をきっかけに将来は看護師になろうと決めました。進路を伝えると母も嬉しそうでしたね。

看護師を目指して大学に入学してからは、授業を受けつつもバイトに熱中していました。学校の先生を目指していた時期もあったので、養護教諭の資格を取るための教職課程も学んでいたんです。授業のなかで教育課程の勉強が一番楽しく、看護師になるのか、養護教諭になるのか、進路を迷いつつ一番最後の総合実習では集中治療領域を選びました。

そこで印象的だったのが、「鼻が痒いのにかけないときってどうする?」と先輩看護師に問われたことです。「この患者さんは意識がないように見えるけど、五感を使って、今本当に何をしてほしいかを考えなければいけないよ」と言われ、はっとさせられました。

集中治療室であれば患者さまにしっかり寄り添い学べることが多いかもしれないと感じ、卒後は集中治療室への就職を希望して、希望どおりに配属されました。

実際に看護師になってみていかがでしたか?

吉田 茉弥

ずっと集中治療領域で働き続けたいと考えていましたが、産休育休を転機に考えが変わりました。

希望の集中治療室は、スタッフ皆が熱い想いを抱いていて、医師も含めチームで患者さまをより良くすることを考えている環境だったんです。当時早期離床の重要性について言われ始めた頃で、本当に効果があるのか疑問に感じつつ、医師を含めたチームで患者さまのリハビリを進めてみました。早期離床は、とても効果があったんです。

チーム皆で、患者さまのことをより良くするためにどうしたらいいかを考えていることがすごく楽しかったので、当初は一生集中治療室で働きたいと考えていました。ありがたいことに身体を労ってもらえ、産休ギリギリまで集中治療室で働くことができました。

仕事が大好きだったので、1年で復帰することを考えていましたが、いざ育休に入ると子どもと関わっている時間が楽しかったんですよ。それが理由で育休延長を決め、その間に2人目を妊娠したので、約3年間産休育休で休んでいました。

育休中に、コミュニティナースという活動を知り、興味が沸きました。そのときは小さい子どもを抱えながらできるイメージが湧かなかったので復職を決意したんですが、希望した集中治療室に戻ることができなかったんです。手術室に復職し、その後心血管センターに異動しました。

最初は慢性期に全く興味がなく気持ちが入らなかったんですが、患者さまのことを考えて頑張っている後輩看護師たちがいたんです。後輩看護師が「患者さんが地域に戻ってからの生活をどうしたら良いのか」と熱心にカンファレンスをしている姿を見て、集中治療室で頑張っていた自分と重なったと同時に、患者さまが生活する地域を見てみたいと強く思いました。

今の活動を始めたきっかけを教えてください。

吉田 茉弥

自宅近くの農家の方が、退院後に自宅に帰ることができないと知ったことがきっかけです。

私の住む地域には田んぼや畑が多く、入院される患者さまは畑を心配している方が多いんです。私自身、育休期間中に子どもと散歩をしていると、野菜をもらうことが多く、そのお礼をしに行くとまた別の物をもらうというコミュニケーションが盛んでした。

心血管センターに勤務をしていたとき、自宅近くの農家の方が、転倒を理由に入院してきたことがありました。持病で抗血小板薬を飲んでいたせいで、出血が止まらなかったのが理由です。

その患者さまは奥様を心配して早く帰りたがっていたので、「退院したら畑を手伝いに行くから!」とリハビリを促して、体調的に退院が目前の状態になりました。

ですが、「再度転倒したら大変」という理由で自宅には返せないと本人に伝えられました。お子さんは遠方に住んでいて、奥様も認知症、訪問看護も多くの回数を利用できる状態ではないということが理由でした。

この方が家に帰るには、どうすれば良いのだろう。家に帰れないならば、認知症の奥様はどうなってしまうのだろう。ここで施設に入所したら二度と家に帰れないかもしれないと感じ、すごく悔しい思いをしました。

そこで、私が地域に出て見守る体制を整えることで、このような患者さまやご家族は減らせるのではないかと考えました。訪問看護の対象にはならないけど、少し元気で少し心配という方をサポートしたいと思い、病院を退職して地域で活動することを決意したんです。

今の活動内容と詰まっている想いについて教えてください。

吉田 茉弥

高松市庵治町でコミュニティナースとして、地域の方々と協力してマルシェの開催などのイベントを企画しています。

現在は、庵治町でコミュニティナースとして活動しています。病院を退職後、まずは子どもを連れて集まれる場所を創るため、カフェにシッターさんを呼んで、親子で参加できるバイキングを企画したんです。それが参加していただいた方に好評だったので、次は高齢者も含めた多世代の交流のために何かしたい、より地域に根差した活動をしたいという想いが強くなりました。

そんなときに、庵治町の町おこしをしている団体にお声がけいただき、2023年10月に「庵治わいマルシェ」を行うことになったんです。マルシェには子どもから大人まで300人くらいの参加者が来てくださり、人と人との繋がりが見える、とてもあたたかい雰囲気のイベントとなりました。

庵治町には独居家庭が多く交通手段もない。どうやって暮らしているのだろうと思っていたところ、自然に見守り体制ができているのだなと知り、とても素敵な方たちだと感じました。

その方々と一緒に、地域の魅力を再発見する!」をテーマにお客様もスタッフも、その場に集う皆が笑顔になれる場所を創りたいと考えました。

私は、大好きな人が幸せそうにしているのが一番嬉しいんです。一緒に活動しているこの方が楽しそうだったなとか、この方がスポットライトを浴びてて良かったなとか。家の中では気づくことができなくても、地域で活動することで気づくことがたくさんあると思います。

社会に与えたい影響を教えてください。

吉田 茉弥

子どもたちを中心に、大人が知恵と力を絞って子どもたちがやりたいことを形にすることができる仕組みを創りたいです。

庵治わいマルシェのなかで、保健医療大学の学生に血圧を測ってもらうブースを作り、そのなかで、子どもがやりたいと言ったら血圧を測らせてあげてほしいと伝えていたんです。

すると実際に、子どもが楽しそうに血圧測定に参加して、周りの大人も自然と笑顔になっていく素敵な輪が広がっていました。私自身、やりたいことを周りの方が助けてくれる環境にすごく安心しました。なので、子どもたちにも同じようにやりたいことを形にできる仕組みを創ってあげたいです。

こうした活動を通して、自然と地域全体で子どもを中心に見守り合いができる仕組みを創ることができれば、健康に暮らす方々を増やすことができると思います。またイベントをきっかけに、地域や家庭のなかで新しい会話がたくさん生まれ、その会話のなかでどう生きたいかを考えるきっかけになれば嬉しいです。

読者の皆様に伝えたいことは、看護師が病院の外でもできることは無限大ということです。看護師資格を活用することにとらわれなくてもいいと知ってほしいです。一方で、看護師として働いていたからこそ気づくことも多く、今までの看護師経験が無駄になることはありません。自分がやってみたいと思うことは、何でもチャレンジできると思います。

私自身、活動をするなかで周りの方に「あなたは何者なの?イベント会社の方なの?」と聞かれることが多いのですが、「私は看護師で、みんなが健康的に楽しそうに暮らしてほしいからこの活動をしています」と答えています。

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