取材日:2023/12/1
こんにちは、hospass運営局です。“病院はパスする時代”を創造するべく、医療職限定でチームを組み活動を進めています。
言語聴覚士の資格を持ちつつ、現在はフリーランスの言語聴覚士として活動している西野さんを取材させて頂きました!
- 言語聴覚士になろうと思ったきっかけ
- 現在の活動内容
- 社会へ与えたい影響
言語聴覚士を目指したきっかけを教えてください。
誰かの誤解を解きたい、困った方を助けたいと思ったからです!
私は小学生の頃、人の話を集中して聞けず、学校の先生が一斉指導のなかで言っていることが理解できませんでした。
友達に「先生何言っているの?」と助けを求めると、いつも教えてくれたので心強かったですが、みんなが理解できていることを私は理解できず、輪に馴染めないことに不安や焦り、疎外感を感じていました。
振り返ると、この頃から言葉や高次脳機能に興味を抱いていたんです。加えて、今の仕事をしているきっかけの一つが、知的発達が遅いクラスメイトの存在でした。
分からないことがあると暴れてしまう子で、周りから「怖い」と思われていました。私は分からないから暴れてしまうだけで、本当はいい子だと思いつつも、誰にも説明できずもどかしい思いをしていました。
大人になったら周りの方にうまく説明できるかもしれない、将来は誤解を受けている方や困っている方を助けたいと思ったんです。
進路を決定する際、母から「手に職をつけて自立できる仕事に就くように」と言われていたので、医療に関する仕事を考えました。言語聴覚士という仕事を教えてくれたのも母で、言葉に興味を持っていた私にとって、まさに理想の進路だと感じたんです。
当時、理学療法士と作業療法士は国家資格化されていたのですが、言語聴覚士は国家資格ではなかったんです。
周りの方からは、理学療法士や作業療法士を勧められましたが、迷うことはなかったですね。勉強は苦手でしたが、言語聴覚士の進路を意識してからは、必死に勉強しました。
実際に言語聴覚士になってみていかがでしたか?
模索し続ける日々のなかで、出会いに恵まれて前を向くことができました。
入職した病院は、言語聴覚士のリハビリテーションを新規に開設する病院でした。
当時は、まだ言語聴覚士による食事介助やリハビリテーションがメジャーではなく、一生懸命できることを行なっていたんです。しかし、医療職のなかですら理解を得ることも難しく、日々模索していました。
そして、2002年に行政の発達支援事業に派遣され、2003年に病院内で外来の小児言語聴覚療法がスタートしました。しかし、誰にも相談できず苦しかったですね。
当時、私の病院は小児科がなく、小児リハビリテーションを取り巻く環境も厳しかったですが、2010年に地域の小児科との連携システムを作り上げました。
体制が変わり、本格的に小児リハビリテーションを実践したことは、今の私の礎になっています。
言語聴覚士として働くことに悩んだ時期もありましたが、行政事業に携わっていたことで、院内だけで言語聴覚士として勤務していたら本来出会えない地域の方々と出会うことができ、前を向けるようになりました。
特に、今も師匠と慕っている保育士の方との出会いが私を大きく変えてくれました。
「この子はどうしてこうだと思うか」と問いを投げてくれる方で、師匠と子ども達の発達に関するやり取りをしていると、いきいきと過ごすことができたんです。
どうしようと俯くとつまずいてしまうけれど、前を向くと一気に進むことができて楽しくなる。自転車やスノボと同じ理論です。この頃からセミナーや勉強会に参加するようになり、学ぶことがより楽しくなりました。
現在の事業を始めたきっかけを教えてください。
病院内でのリハビリに限界を感じたためです。
事業を始めたきっかけは、2つあります。
1つ目は、小児セラピスト(リハビリ担当者)が足りず待機患者さまが多いなかで、病院勤務をしていても状況は変えられないと実感したためです。
もっと地域に出て行って、親しみやすく、すぐに実践できる形で子どもたちが本来の力を出せるように応援したい、子どもが育つすぐそばに言語療法を届けたいと思いました。
そして、子どもの発達に対する誤解を解くための代弁者になることが私の使命だという想いを胸に、病院を離れる決意をしました。
2つ目は、もっと自由に学んで言語療法を届けたいと思ったためです。私が勤務していた病院は、言語聴覚士の平均年収より給与が多く、安定して生活できる環境だったので、起業は考えていませんでした。
ですが、セミナーや研修に行った次の日に、お互いの自己研鑽のために院内で報告会をする度に、周りのスタッフとの温度差を感じるようになったんです。
私は小児専門の言語聴覚士として働いていて、ほかのスタッフと業務も違ったので、学ぶことや勤務形態に対して心無い言葉をかけられたこともありました。
学ぶことが良しとされない環境は合わないと思い、フリーランスへ転向したんです。
しかし、院内で担当していた70人の子どもを放り投げて病院を去ることはしたくなかったので、最初は週3日病院で働きながら、行政での仕事や放課後デイサービスを行うセミフリーランスという形で勤務をしていました。
その後、病院内のスタッフへ徐々に引継ぎを行い、3か月で完全にフリーランスに転向しました。
現在の事業内容と想いを教えてください。
「こうでなければならない」と悩む子どもとそのご両親を助けたいです。
現在の事業内容は、対面やオンラインでの教室内言語療法、デイサービスや保育園へ出張しての言語療法を自費診療にて行なっています。
また、養成校や法人向け講演会、個人向けセミナーなどの教育事業、コンサルティング事業も展開しています。
完全にフリーランスに転向してから半年ほど経って、病院勤務をしていた頃と同等まで収入が安定してきました。
地元のクリニックの院長先生のご厚意でリハビリのための部屋をお借りし、Instagramのリール動画を発信するようになってから、案件のご依頼をいただくようになりましたし、私は運に恵まれていると思います。
事業に詰まっている一番の想いは、子どもの育ちを分かりやすく伝えたいということです。子どもたちがみんな、伸び伸びと自分らしく育つことができるようにサポートしたいと考えています。
こうでなければならないという思い込みで、周りに一喜一憂されてしまう子どもたちへの誤解を解き、子どもたちの応援団になりたいです。
また、私が小学生時代周りのみんなにはできることができなかったとき、大人に言ってもらいたかった「あなたはあなたでいい」という言葉を、私が子どもたちとご両親に伝えたいです。
悩んでいるのは子どもたちだけではなく、そのご両親も同じなので、一緒に悩みから解放したいです。そのためのノウハウを、少しでも分かりやすくキャッチーに伝えていきたいと考えています。
社会に与えたい影響はありますか?
「大丈夫」の定義を変えたいです!
発達や子育てにおける「大丈夫」の定義を変えたいです。たとえば、1歳半検診を迎える前のご両親は、うちの子は普通なのか、とドキドキする方が多いのではないでしょうか。
周りの大人やママ友のなかには、「○○ができているから大丈夫」と声をかける方もいらっしゃいますが、逆にできないならば大丈夫ではないということになってしまう、いわゆる条件付きの大丈夫なんです。
それがきっかけで、ご両親が子どもを「大丈夫」な状態にするために躍起になって、積み木を積む練習をさせたり、指差しができるように練習させたりと健診前に訓練を重ねます。
検診は、子どもの本来の姿を確認して、必要ならばサポートをしていくためのものなのに、異常を見つける検査として扱われてしまっていることが悲しいです。
子どもはちゃんと座ってみんなと同じように大きくなることが正しい、発語があるから大丈夫などの概念を変えるために、本来の発達についてしっかりと伝えたいです。
特に言葉の育ちは変化が分かりにくく、得体の知れない不安に駆られる方が多いので、そんな言語発達について、これからも誰よりも分かりやすくおもしろく、楽しく伝えていきます。
最後に読者の方に伝えたいのは、自分らしさを大事にしつつ、医療職みんなで協力し合いたいということです。皆さんにはそれぞれの役割があるので、その役割を全うしつつ、ぜひ手を取り合っていきたいです。
西野 章子(言語聴覚士)
自身の幼少期の経験をきっかけに言語聴覚士となる。病院での勤務を経て、
現在はフリーランスの言語聴覚士として、自費リハビリ、教育事業、セミナー講師など
言語発達に関する「誤解」を解くため幅広く活動中。