児童養護施設→訪問保育→社会的養護へ。子どもの「その後」に光を当てる挑戦

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船切裕希(社会福祉士・保育士)

保育園が大好きだった幼少期から「親子を支える保育」を志し、新卒で児童養護施設へ。理想と現場のギャップ、終わらない業務の中で適応障害となり退職するが、訪問保育で開業し、家事代行と組み合わせて支援を継続。SNSで「元施設職員インフルエンサー」として社会的養護の課題を発信し、卒園生を海外へ連れていくスタディツアーの仕組み化に挑む。

記事の見どころ
  • 弟の世話が当たり前だった幼少期から、親子支援へ関心が育った
  • 人権・最善の利益を守りたい理想と、激務・文化のギャップで適応障害に至るまで
  • 訪問保育×家事代行で生活基盤をつくり、社会的養護を拡張!

保育士を目指した経緯を教えてください。

船切裕希
船切裕希

原点は、いわゆる「職業選択」というより、生活の中にありました。

私は4人きょうだいで、下の弟が6歳・8歳離れていて、共働きの家庭でした。だから、自分のことは自分でやる、弟の面倒を見るのが当たり前、という環境で育ちました。気付けばそれが楽しくて「保育って好きかも」と思ったのが、最初の芽だった気がします。

さらにいうと、私は保育園そのものが大好きでした。保育園には、安心できる大人や愛してくれる大人がいたんだと思います。「保育士になりたい」という気持ちは、憧れというより、私にとって自然な流れでした。

進路として迷いがなかったわけではなく、実は選択肢が2つありました。母が看護師だったので、看護師か保育士か迷いました。でも、血を見るのが苦手で、看護師の道は違うなと思い、結果として「自分は保育士だな」と腹落ちしたんです。

これまでの経歴を教えてください。

船切裕希
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保育士として強く惹かれたのは「親子を支える保育」でした。

保育園だけが保育士の働き方じゃない。家庭的な保育や、親子支援の文脈で関わりたい。そう考えるようになったきっかけは、小中学生の頃です。

新聞記事を集める課題があって、当時大きく報道されていた虐待のニュースや、ドラマ『Mother』の影響で、そういう環境にいる子どもたちに何かできないかと思ったんです。

家にルポや精神疾患に関する本が多く、母の影響も大きかったです。私自身の家庭も喧嘩が多かったり、親とのコミュニケーションが難しかったりして、理由を探すように本を読み続けていました。

船切裕希
船切裕希

愛着や心の問題、そして「子どもの人権」が、自分の中で一本の軸になっていきました。

社会人として最初に勤めたのは、児童養護施設です。新卒で2年間働きました。児童養護施設は、保育士だけでなく、社会福祉士や児童指導員、看護師など、さまざまな専門職が連携して子どもたちの生活を支えています。ただ、現実は想像以上に難しかったです。

児童養護施設は「生活の場」です。ルールはあるようでなく、集まる職員の経歴も知識もバラバラ。毎日起きる問題に対して折衷案を決め続けないといけない。

そこで「子どもの最善の利益」や「人権保障」を優先したい自分と、職場の多数派の感覚とのギャップに、ずっと葛藤がありました。

そして、単純に激務でした。行事の企画、書類、手配、学習支援、ボランティア対応、買い物、料理、記録。24時間生活が続くので終わらない。休憩なんて概念が消える。結果として、適応障害になり退職しました。

今の活動に至った大きなきっかけを教えてください。

船切裕希
船切裕希

退職後は居宅訪問型保育事業の届出を出して、訪問保育(ベビーシッター)で開業しました。

訪問保育をはじめた理由は、かっこよくいうなら、児童養護施設を経験した人が社会に出て、虐待になる「前」の親子支援を増やせたら、虐待の予防につながるかもしれないと思ったからです。

本音をいうなら、適応障害で辞めて今後について悩んでいた時に、保育士資格と、施設職員時代にファミリーサポートの経験を活かして「訪問保育ならいける」と判断して開業した、という側面も大きいです。

まずは、ファミリーサポート経由でつながっていた2家族に声をかけて、土台をつくりました。

同時に家事代行アプリで、ほぼ毎日のように家事支援に入りました。施設職員時代はユニット全調理で料理を回していたので「子どもが食べられる料理をつくれる家事代行」という強みが出せた。そこから個人契約の形でベビーシッターも提案し、家事代行×シッティングの組み合わせで10組ほどまで広げていきました。

船切裕希
船切裕希

SNSでバズったことも大きかったです。

施設を辞めた直後は、2週間に1回寝込むくらい精神的に落ちていて「このままで良いのかな」と思って、SNS発信を始めました。

児童養護施設職員あるあるを演じるショート動画がバズって、元施設職員インフルエンサーというポジションが生まれました。そこから当事者活動や施設関係者ともつながり、社会的養護の支援活動が一気に広がっていった実感があります。

今後の課題、これからやりたいことを教えてください。

船切裕希
船切裕希

今向き合っているテーマは、社会的養護です。

社会的養護とは「社会の責任で子どもを見守り育てていく」という考え方です。背景には虐待の問題があり、児童養護施設は全国に600か所以上あり、最近では入所理由の7割以上が虐待ケースだと言われています。

施設の子どもたちは、18歳で退所を迫られるケースが多い。退所すると、住む場所を確保して、学歴がなくても働ける場所に入っていくことも少なくありません。制度は改善の方向にあるけれど、現実として「18歳の壁」は重いです。

一方で、自立援助ホームや、進学・支援継続のための措置延長など、支援の選択肢も少しずつ増えています。

ただ、必要な子ほど未来を描けず、支援に乗れないこともある。ここが、社会課題として一番しんどいところだと思っています。

船切裕希
船切裕希

私がやりたいのは、特定の形にとらわれた支援ではなく、子どもたち一人ひとりの未来に合わせて選択肢を広げていくことです。

吹き出し:私がやりたいのは、特定の形にとらわれた支援ではなく、子どもたち一人ひとりの未来に合わせて選択肢を広げていくことです。

直近3年以内で実現したいのは、施設の卒園生をカンボジアのスタディツアーに連れていく取り組みを、持続可能な形にすることです。

クラウドファンディングで資金を確保し、今年は担当していた卒園生を連れて行くことができました。来年分も確保はできていますが、毎回クラファンでは続かないので、もっと人を巻き込んで仕組み化することに挑戦しています。

現地では、教育支援を行うNPOと連携して、子ども支援拠点を訪れたり、暮らしや歴史を学び、最後に感じたことをアウトプットするプログラムを組みました。海外に出ることで、自分の世界が狭かったと気づいたり「自分でも何かできるかもしれない」に変わったりする。その心の動きが、卒園生にとって大きいと思っています。

船切裕希
船切裕希

一言でいうと「影響力のある人間」になりたいです(笑)

現在はマーケティングの仕事をしながら活動を継続しています。仕事での学びを活かして社会的養護の認知を業界外にも広げていきたいと考えています。

また、施設を出た後の子どもたちが社会の中で自分の可能性を広げて活躍できるような、持続可能な仕組みづくりに取り組みたいです。支援団体が抱える、国の委託に依存しやすい構造やリソース不足といった課題に対しても、ビジネスやマーケティングの視点を掛け合わせることで解決できることがあるのではないかと感じています。

最後に読者へのメッセージをお願いします。

船切裕希
船切裕希

私が目指しているのは、虐待という言葉だけがセンセーショナルに消費される社会ではなく「その後の人生」の方に目を向けられる社会です。

虐待は、構造の中で生まれた問題で、虐待を受けたあとの人生の方がずっと長い。だからこそ「自分の周りにもいるかもしれない」とアンテナを張って、できることを考える人が増えてほしいです。小さくても良いので、生まれてきてよかった瞬間を増やして、寿命を延ばしていくような関わりが広がってほしいと思っています。

そして、個人の活動に留まらず、全国にいる社会的養護に関わる仲間たちと、それぞれの立場から協力しながら 、子どもたちの最善の利益を追求していきたいと考えています。

私が大切にしているモットーは、資格にとらわれ過ぎず、自分がどう思うかを優先することです。

「保育士だから、社会福祉士だから」といって自分を縛らない。資格より先に、人間としてどう動くか。私自身もそこを意識して活動しています。

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