中村有(研修医)
家族の影響から医者を志望。
しかし、メンタルが落ちたことをきっかけに
病院外の環境へ身を投じ、医療啓発や様々な事業を展開している。
Contents
- 1 ー 早速ですが、中村さんが医者になろうと思ったきっかけを教えてください!
- 2 ー 中村さんが考える再生医療の可能性とは?
- 3 ー 研修医過程、実際のところどうでしたか?
- 4 ー 病院以外の世界に目を向けた中村さん。今、どんなことに興味を持っていますか?
- 5 ー 多方面から考えるメンタル領域。今、どの様な新しい展開方法を考えていますか?
- 6 ー 現在、様々な方に会われている中村さん。異業種に会うことに対し、ブロックはありませんでしたか?
- 7 ー アパレル店員と接して気づいた、仕事をするうえで必要な人間性
- 8 ー 2020年の2月で医者を辞めた中村さんですが、これからはどんなことを展開される予定ですか?
- 9 ー 中村さんの野望はありますか?
- 10 ー 中村さんの原動力は何ですか?
- 11 ー ホスパスを通して行いたいことや、要望はありますか?
ー 早速ですが、中村さんが医者になろうと思ったきっかけを教えてください!
医者になろうと思った理由は、主に2つですかね。
1つ目は、お父さんが医者、お母さんが看護師だったことです。
脳外科に勤めていて、ポケベルで呼ばれている生活を昔から経験していたので。
2つ目は、僕自身が肘を怪我して整形外科にお世話になったことです。
小学校3年生くらいから、スポーツ少年団の野球部に入っていました。
野球部ではピッチャーをやっていたんですが、小学校4~5年の時に肘を壊しました。
その時に、「このままでは、野球はもうできません。安静にするか、手術をするかの2択です。」と整形外科で言われました。
小学6年の時に手術を行い、リハビリ期間を1年くらい経て、また大好きな野球ができるようになりました。

医者によって助けられ、また自分が好きなスポーツできるようになったことは本当に感謝です。
怪我をきっかけに、再生医療の可能性に興味を持ちました。
ー 中村さんが考える再生医療の可能性とは?

軟骨って基本的に再生しないんですよ。
肘を怪我した当時、自分の他の部位の骨を移植するしか方法がありませんでした。
「もう少し違う治療法ができるのではかいかな?」と思ったことが
再生医療に興味を持ち始めたきっかけです。
その可能性を感じて、医学部を目指すことを決意しました。
ー 研修医過程、実際のところどうでしたか?

正直、2~3日くらいでしんどくなって、病院に行きたくなくなりました。
1週間くらいで転職サイトを見始めましたね。
研究もよく分からないし、つまらない日々でした。
今思えば、メンタルがまわってなかったんだなと思います。
これをきっかけに、喋ることが好きで、人に教える方が好きだと気付きました。
大学の時に、塾講師も行っていて、喋ったり人に教える方が上手だし好きでした。
病院よりも、世界に目を向けたほうが楽しいなと気づきました。
ー 病院以外の世界に目を向けた中村さん。今、どんなことに興味を持っていますか?

病院の外に飛び出ましたが、医療を離れる気はないです。
今、医療分野としては総合診療科とメンタル領域に興味があります。
総合診療科では、身体だけではなく、住んでいる地域等にも目を向けることになります。
そういう多岐な部分にもフォーカスしていきたいし、その方が楽しいだろうなと思いました。
メンタルに関しては、スポーツメンタルに興味があります。
スポーツと掛け合わせることで、病院では捕まえられない人たちを救えるかなと思ってます。
ー 多方面から考えるメンタル領域。今、どの様な新しい展開方法を考えていますか?

僕自身の経験を活かしてメンタルケアしていきたいんです
正直精神的に辛かった時は、病院に行くこと自体ハードルが高いなと思いました。
今は開業医チームと一緒に、SNSを用いてメッセージ機能を活用したり
電話を行いながらメンタルケアを行っています。
ただ、これは医療ではなくあくまで精神的なケアの一環です。
医者の資格はあるけど、責任はとれないと伝えたうえでケアを行っています。
ー 現在、様々な方に会われている中村さん。異業種に会うことに対し、ブロックはありませんでしたか?
僕が、不眠やうつ病っぽくなった後、休職になりました。
元気になった後も、2~3か月休職していました。
その時にリハビリの意味も込めて、東京・名古屋・大阪をぶらぶらして

まあ、暇だったのもあるんですが(笑)
うつ病って、病んでいる時は購買意欲が落ちるんですが、治り始めると一気に購買意欲が高まります。
僕は元々服が好きで、元気になったら服屋に通い始めました。
服を買う時に、アパレル店員と話をしていて、気づいたことがあるんです。
ー アパレル店員と接して気づいた、仕事をするうえで必要な人間性
アパレル店員は、同じ商品を扱っていても、売れる・売れないという違いがうまれてきます。
これは、販売能力や話し方、販売の仕方次第なんですが
病院は勤めていたら患者は自然と来るから、来る・来ないの差もでてきません。
しかし、クリニックを経営したらそこが関わってくるなと思います。
アパレル定員からは、そこが学べるかなと思った瞬間でした。
それをきっかけに、アパレル業界に益々興味を持ちました。
例えばこれは、BARでも言えることで
BARはコミュニケーションで成り立っている空間なので
聞き方や話し方、お酒の注ぎ方や乾杯の仕方まで、こだわっているところが多いなと感じています。
なのでコロナが落ち着いたら、イベントモールやBARを
メディカルと掛け合わせて作っていきたいなと思っています。
ー 2020年の2月で医者を辞めた中村さんですが、これからはどんなことを展開される予定ですか?
将来的には、メンタルケアはもちろんですが、メディカルモールを作っていきたいと考えています。
そこに、知り合いのスタッフを集めていけたらいいなと思っています。

やりたいことは沢山あるし、全部やりたいですが
時代の流れやニーズに合わせてやっていかなくては、事業ははねられてしまうと思っています。
なので今は、オンラインメンタルケアやSNSを活用したインフルエンスを継続していきたいと思っています。
SNS×メディカル、メディカル×アパレルで今は活動しています。
SNSチームを作って、それぞれのところにつくファンをコラボしながら獲得しあっていきたいです。
あとは、研修医過程が残っているので、それは後々に終えたいなと思っています。
ー 中村さんの野望はありますか?
僕は、ペイフォワードという科学の考えが好きです。
アメリカにはペイフォワードという言葉があるんですが、日本ではあまり浸透していない考えです。
これは、「前途ある人に投資せよ」という考えです。
例えば、学生で大きな夢をもっているけど、お金がないからできなくて困っている人に対して支援もしていきたいと考えています。
イベントを開催して、そこにスポンサーする人を集めて稼働していくことができれば、学生も夢の実現は可能だと思います。
その人の野望を支援していけるようになることが、僕の野望の一つでもあります。
ー 中村さんの原動力は何ですか?
病院で医者として働いて、メンタルが落ちた時に病院の対応が悪かったことが始まりです。

正直、医療業界に対して恨みみたいなものもあって(笑)
あとは、親からも「医者を辞めるなら支援しない。」と言われ
1番身近な人からの反対があったから、逆に自分の想いを大きくしたこともあります。
結果を出して納得させ、見返そうと思っています。
SNSで仕事してる人もいるし、病院外で働いている医者もいるよというモデルになりたいですね。
だから、アンチで叩かれることを覚悟でやっています。
ー ホスパスを通して行いたいことや、要望はありますか?
僕は、正しい知識を一般人にもつけてもらい、病院に来なくていい人はこない
という線引きを伝えていきたいと考えています。
これは、病院の中で伝えているだけではだめで、ファンを獲得していたり
世の中に影響力があるインフルエンサーが伝えていくことが重要だと思っています。
ホスパスみたいに、同じ方向を向いてやってくれる人は欲しいなと思っています。
僕のやりたいビジョンとホスパスは似てると思うので、ぜひ一緒に活動していけたとら思います。

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