思いつくことにワクワクが止まらない。何でもできてしまう気がして【荒川拓朗 / 子宝整体】

荒川拓朗(理学療法士)

理学療法士として回復期病院、訪問看護ステーションを経験した後、整体院を開設
現在は【子宝整体】として妊活の支援と共に活動している。

まず初めに、荒川さんが理学療法士になった理由をお聞かせください!

ネーミングに一目惚れしたんですよ!!

僕は栃木県の宇都宮市出身で転勤が多く4歳から茨城、

小学3年に東京の葛飾区に引っ越してと、世間でいう転勤族でした。

母親がが医療事務の仕事をしていて、なんとなく幼少期から医療系の仕事は意識していたと思います。

実は高校も中退していて、大学の受験資格もなかったんです。

当初入学した高校が私立の高校だったんですが、周りは結構お金持ちの家庭が多くて、

劣等感は常に感じていました。

こんな性格なので周りとの衝突も多くて高校を辞めたんです。笑

そこから定時制の高校に通ったんですが、ここでもなんかパッとしなくて辞めました。笑

ふと将来を考えた時に、意外にも周りの進路は決まっていて『自分も早く決めないと!』

っと思ってました。焦っていた気持ちが大きかったと思います。

実は本当は【プロボクサー】にもなりたかったんです!

でもボクサーのみでは食べていくことは難しいとわかっていたんで、

いったん資格を取ろうと決めて、この理学療法士の道に進むことを決意しました。

受験には1回失敗したんです。なので1年間フリーターをして、その後夜間の専門学校に合格して

養成校に通って資格を無事に取りました。

なかなか濃い学生生活から、臨床の現場はどうでしたか?

新卒では栃木の回復期病院に最初入職して、結構優雅に遊んでましたね。

田舎が大好きなんですよ。自然に囲まれてるのが心地よいくて!

休日はパチンコやスノボに出かけたり、真面目に学会や勉強会などにも参加していました。

貯金が全くできないくらい休日は出かけていた記憶があります。笑

そんなある日突然母から言われたんです。

『…私ガンになっちゃった。』って。

強がる母親だったのでもうびっくりしてしまって、

当時両親は東京に住んでいて僕自身は栃木にいたので、

このタイミングで東京に帰ることを決意しました。

都内に戻ってからは回復期病院に入職しました。

転職後の回復期病院での仕事は比較的スムーズに行きましたね。

新卒でも回復期だったので、ある程度の基礎知識と一連の業務内容は変わりなかったので。

職場の中では盛り上げ役に徹していたので

自分で言うのもなんですが、頼れる存在ではあったのかなと思ってます。笑

その後すぐに役職の話も頂いてとても嬉しかった記憶がありますね。

ただ、この頃に母の命は1年も持たないと余命の宣告を受けていたんです。

この時に理学療法士の自分の無力さをとてつもなく感じました。

その後母が他界した時の無力感はもっとすごいもので

この時に、雇われてできる範囲の限界に気付いてしまって独立することを決意しました。

独立までの経緯も、多くの出来事が重なってたんですね。

独立すると言っても自分は何で独立したいのか、全然決まってなかったんです。

今も何がしたいかって聞かれたら率直には言えませんが

その時はふと思い出したプロボクサーの道をもう一回諦めずにやろう!

これが僕自身ができる一番やりたいことでした。

でも昔に思ってたと同様に

ボクサーの道では食べていくことが難しいので、

日中は訪問看護ステーションで働いて、勤務時間外にトレーニングする日々を送っていました。

訪問看護での業務が1年経って慣れてきた時に

ちょうどプロボクサーライセンスを取ったのですが、

その頃、勤めていた訪問看護ステーションが経済的な崩壊の危機

夢だったプロボクサーになれたけど、本業との兼ね合いで続けることが難しいと判断して

プロボクサーをやめてしまった事もあります。

この時は本当に辛かったです。プロで食べていくってかなり厳しい世界でした。

でもやっぱり訪問看護ステーションで雇われていると経済的な制約や、

時間的な制約が苦しくなって、独立志向が強かったんですよね。

なので訪問看護も辞める事に決意をして、個人事業主として独立したんです。

整体サロン:子宝整体としての独立

勢いに任せて整体サロンで独立しました。

もちろん最初は何をどうやったらいいかわからない状態

独立してから色々と考えて行動するようになりました。

沢山の有名な治療家の人にあって多くの手技を学ぶ中で

やっとこれだ!っと思った出会いが妊活協会とでした。

何か武器がないとサロンとしてブランディングできないと思ったんです。

整体サロンを開始した当初は仕事は全くありませんでした。

しかし、今は妊活と組み合わせて行う子宝整体と言う

普通とは違った角度での運営に切り替えてところ売り上げが伸上がりました。

それが付加価値になってうちのサロンに来てくれる。

この仕組みを生かして今後も集客したいと考えています。

活動拠点が埼玉なので、都内ほど人口が多いわけではないんです。

なのでターゲットをもっと絞って、的確に集客を行ってリピーターを作る

今はこれができればと考えています。

今また違う事業を考えていると聞きました。どのようなものでしょうか?

夢が多いんですよね。

考えはあるんですが、まだ着手はできていないです。

大きめの開放的なところに、デイサービスや整体院などの複合施設を開発しても良いかなっと

地方だと寄り添う場所があるだけで、助かる人がいるんじゃないかって思うんです。

のちの話にはなると思うんですが、人のためになるようなことを

今後もどんどんして行きたいなって思ってます。

hospassを通して伝えたいことはありますか?

人生いろいろありましたが、今が一番楽しくて仕方ないです。

学生時代から本当にいろいろと波乱万丈なんですよね。僕の人生。

ですが、今もこうして楽しくやっていけてて、今後の未来にもワクワクしていて

個人事業としてやってきて本当に良かったと思ってます。

理学療法士の仕事は病院だけじゃないんだよってことを伝えつつ

自分の可能性も信じて、今後も多くの活動をやって行きたいと考えています。

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