Hello world !! 英語スキルが世界を広げてくれた。【中村 遼 / 理学療法士】

中村 遼(理学療法士)

理学療法士の資格を取得後
バイオメカニクスの研究を通し修士課程を終了。
その後、得意な英語を活かし
英会話スクール運営や医療英会話など多くの活動している。

はじめに、理学療法士になろうと思った経緯を教えて下さい!

最初はプロサッカー選手を目指してたんですよ

小さいころからサッカーに熱中してて、プロを目指して頑張ってたんですよ。

ですが高校の頃に怪我で満身創痍になってしまって

腰椎疲労骨折、大腿部の肉離れ、両下肢のシンスプリント、ジャンパー膝など

多くの怪我を経験した時、理学療法士の方にお世話になって

その時、もしプロになれなかったら医療の道に進もうとを意識しましたね。

医師にもなりたかったんですが、勉強が難しくて医師では無く理学療法士の道に決めました。

大学生活の思い出を教えて下さい!

最後の実習が一番楽しかったですかね!

実習の出来事が結構記憶に残っていて、整形で有名な病院へ行ったんです。

そこでは他学校の実習生も多くて

毎週末に遊びにいくのがとても楽しかった記憶があります。

車をレンタルして大分の別府温泉などに違う学校の人と触れ合う時間はとても新鮮でしたね。

あと実習は睡眠時間が少なく大変でした。

今だから言えるんですが、実習の見学中に寝てたこともあって。笑

見学の合間でトイレに駆け込み20分程度寝るのが乗り越えるコツです。笑

バイザーの先生が忙しかったのでほぼ放置されてて、それがラッキーでした。

国家試験は効率の悪さがピカイチでした。笑

国試は凄く勉強したのに、全然点数取れなかったんですよ。

教授の研究室で寝泊りするくらい勉強していたのに、効率の悪さが凄くて

机を繋げてベットにして、そこに寝袋を敷いて寝たりしてました。笑

周りの人たちが優秀だったので謎の焦りがあって、とにかく勉強してたんです。笑

勉強は効率が重要なので、今ではこの方法はお勧めしないです。笑

その後、大学院に行かれたんですよね?

なんとなく、すぐに臨床に行く気にはなれなくて進学の道を選びました。

新卒で臨床に行くかどうかとても悩みました。

当時は特に勤めたい病院もなかったし、明確なやりたいことも無くて

僕が通っていた大学は、卒業生の3割がだいたい大学院へ進学します。

大学院ではバイオメカニクスの研究を行い、そこの教授のコネクション

良いところへ就職しようと企んでいましたね。笑

その後は、博士課程は行かずに臨床へ出ました。

博士課程へ行かなかった一番の理由は

学費の面で親に負担をかけるのが嫌になったんですよね。

あと「臨床経験0で博士をとるのはどうなのか?」と思ったこともあります。

現場を見てから本当に研究したいことを見て、また博士課程をとるのが良いかなと考えました。

あと研究をしている時に、本当に必要な研究内容なのかわからなくなった時もあるので

その辺も見ていきたい気持ちが強かったですね。

臨床一年目はいかがでしたか?

初めは、千葉県の回復期病院に入職しました。

新卒で入職した病院は、大学院で使っていた研究機材があったからで

あと、アジアに2個しかない動作解析機があったのも理由になります。

ですがこの機材たちを使うには主任クラスの許可が必要で

それが手間に感じて、モチベーションが下がってしまいダメでした。笑

だったら自分の役職を上げればいいのか。なんてことも考えましたが

それには年数が必要で、そこまでして研究したいか?て思い始めたんです。

給料も満足がいくほど貰えなかったですし

そもそも他の仕事も見た方がいいんじゃないか?と考え始め

回復期病院に入職してから、1年5ヵ月で転職を決めました

転職の決め手は何でしたか?

転職先は訪問看護ステーションを選んだんです。

訪問看護ステーションを選んだ理由は【給料面】【環境面】で決めました。

  • 前職よりも給料が良い
  • 定時で帰れる
  • 自分のペースで利用者を治療できる。

多くの面で訪問看護ステーションで働く事を決めました。

仕事も大事ですが、プライベートも重要と考えている人にはおすすめですね!

理学療法士をしつつ、様々な事に挑戦していると聞いています。

色々をやっているんですが、【これ!】といった目的は無いんです。

自分の知らないことを徹底的に取り組んでいきたいと考えていて

その中で自分のスキルが誰かの為になればいいな。なんて思っています。

自分はたまたま英語ができるので

英会話スクールやプロサッカー選手の通訳医療職オンラインサロンに挑戦していて

あとはPhotoshopやIllustratorを使ってweb作成も行っています。

自分のできることで、誰かの助けになるのなら嬉しい。

hospassを通して伝えたいこと

医療の世界はとても狭かったです。

自分は医療の世界しか知らなくて視野が狭かった時期があります。

違う仕事の世界を知った時、物凄く可能性が見えて多くの経験をしました。

当然いい出会いも辛い経験もありましたが、トータルでよかったなと思っています。

広い視野でみると人生が楽しくなるので、そのことをみんなに伝えたいです。

自分の場合は視野を広げることを考えた時に、たまたま英語ができた。

これを生かしてさらに世界を広げていきたい。

少子高齢化が進み、グローバル化が進み

日本語しか話せない日本人が弱くなるの防ぎたい。

まだまだこれからも多くの事に取り組んでいきたいです。

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