ー 石崎さんが臨床検査技師になろうと思った理由を教えて下さい
私の父親が救急救命士をしていて、父親からのすすめが大きかったです。
私は昔、人とコミュニケーションが取ることが不得意でした。
子供の頃から人を信じられず、内向的でした。
医療職になるにしても、人とあまり関わらない仕事が良いなと思っていました。
元々、調べることが好きで機械いじりも好きだったので、レントゲン以外のことが全てできる資格で、医者と同じレベルの仕事ができ、医者と同じレベルの勉強ができることがいいなと思い、臨床検査技師の仕事を選びました。
見えない力を借りる仕事が、臨床検査技師の面白いところだと思います。
身体の内部がどうなっているかは普段見ることができないのに、超音波などを使って画像として身体の中がわかるっていいなと思いました。
ー 人を信じれなくなってしまったのは、何か大きな出来事があったのですか?
いつも一緒に幼稚園に通っていた子が、3歳くらいの頃にお母さんに虐待されて亡くなってしまいました。
その時に、内面と外見で違うんだなと痛感したことが大きかったです。
友達のお母さんは、とても優しかったのに、怖い一面があったんだなと思いました。
仲の良かった友達がいなくなり、心にポッカリと穴があいた様な感じがあり、人をあまり信じれなくなってしまいました。
ー 学生時代の思い出は何ですか?
ほぼ、実習三昧でした(笑)
みんなで助け合いながら、国家試験を乗り切った思い出はありますね。
得意な科目のノートをみんなで作り、みんなで持ち寄って国家試験の対策をしていました。
3年生の時は、前半が病院実習だったので、秋くらいからは国家試験の勉強に集中しました。
ー 新卒の時の職場はどの様に選びましたか?
私、ちょっと特殊なタイプで、自分から自分を売り込みに行ったんです。
国家試験が合格できるか分からないから、就職活動をやっていませんでした。
3月の時に国家試験が受かったことがわかり、「卒業して、国家試験受かったけどどうしよう?」って思い、4月から病院を探しました。
父親が救急車に乗っていたので、病院の情報をリサーチしてもらい、自宅近くの病院に自分を売り込みました。
そして、そこの病院のグループに就職しました。
グループ病院だったので、何回か転勤も経験はあります。
ー 臨床検査技師として働き、理想と現場のギャップはありましたか?
予想以上に、人と接するんだなとは思いました。
あとは、夜勤があるんだなというギャップもありましたね。
クリニックの場合は夜勤はないですが、循環器の病院にいたので、夜間も手術やカテーテルなどで患者さんが運ばれてくるので、夜は当直者がいた病院でした。
機会が調子悪い時は、機器メーカーに頼む前にまずは自分たちで直すので、機械の修理やメンテナンスが意外と多いんだなと思ったこともあります。
ー 今の活動に至った経緯を教えて下さい
臨床検査技師として、11年間勤務をしていました。
7年目くらいの時にふと、「このままでいいんだろうか?」という疑問が出てきたんです。
検査技師自体、未来を描いた時にAIに仕事をとられてしまうと思ったんです。
メンテナンスができる人さえいれば、検査自体はボタンを押せばだれでもできてしまします。
更には、検査をしなくてもスキャンみたいなことができる所に患者さんを通して、AIが判断する時代が来るのではないかと思いました。
その時に、人員削減の想像がつき、将来を不安に感じました。
それで「行動しよう!挑戦しよう!」と決め、勤務時間外でコミュニケーションのリハビリもかねて、外での活動を始めました。
ー コミュニケーションを取る中で、LGBTQを恋愛を着眼した理由は?
中学校くらいから、女性を好きになることがありました。
はじめは、「女性が好きなのか?」それとも「憧れなのか?」という迷いが、自分の中でありました。
何も楽しいことがなくても、その女性のことを四六時中考えていて、「自分は女性が好きなんだ」と思い、葛藤し、認めたくない自分がいて悩むことがありあました。
私は、心が男と女揺れ動く性質があります。
時には女に、時には男に。
中学生の時に女性のことが好きと気付き、若干無視されそうになったことがあります。
その経験もあり、社会人になっていくにつれて、誰にも相談ができませんでした。
医療職は、ユニフォームも男女同じような形です。
男女あまり別れてなくて、働きやすいかもしれないが、更衣室で男になった瞬間に申し訳なくなる気持ちが出てきました。
トイレも「どうしよう・・」と思った瞬間もあります。
これを家族にも友達にも相談できずにいました。
誰に相談をしていいか分からない時に、コミュニケーション方法だけではなく、相談相手にも迷っていました。
当時は、ドラマや漫画を見て学ぶしかなくなかったのです。
それであれば、「自分が相談役になろう!」と思ったことが、今の活動のきっかけです。
ー 今はどの様に活動をされていますか?
現在は、LGBTQの社会的地位向上のための活動をしています。
私自身が、LGBTQを強みと感じたのが、3年前でした。
当時は、コミュニケーションのセミナーを行っていました。
その時に、「LGBTQは強みだよ!」と知人から教えてもらった時期があり、そこから”恋愛ドクターさおりん”として活動をし始めました。
元々は、大好きな人に大好きだと言える世界にしたいと思ったんです。
私自身のコンセプトは「毎日がテーマパークで、毎日がデート」です。
現在は、恋愛ドクターさおりんは休憩をしています。
去年の5月にクラウドファンディングを行い、本を出版することに成功しました。
それをきっかけに、企業から依頼が来る様になり、オンラインで企業に対してセミナーをしたりして、活動を行っています。
今は、Facebookを中心に、男と女として楽しんでいるさおりんを発信しています。
さおりんとして生きることが、応援してくれる人に対する恩返しだと思っていて、それが両親としての幸せであり、本当の自分として生きることが幸せかなと思っています。
ー 石崎さんの今後のビジョンを教えてください
1番最後に叶えたい夢は、10年寄り添っている彼女と、一生涯おばあちゃんになっても、手を取りながら堂々と手を取って歩きたいと思っています。
その夢を叶えるための、途中の目標として「一人ひとりのカラーと愛のグラデーションを楽しみながら本当の自分として生きる」LGBTQの支援センターを作りたいと考えています。
そのさらに近い目標として、LBBTQの人たちが安心しして住める部屋を築きたいと考えています。
LGBTQに当てはまる人は、年収が低かったり、同性同士や他人同士が住むことから、大家さんの視点から入居を断れれることが多いんです。
なので、自分が大家になり、マンションやアパート1棟持って、1階ををワンルームにし、それぞれの部屋でコンセプトを決めて、部屋を貸したいと思っています。
LGBTQの人が住んでいるマンションが見れる虹部屋というサイトを作りたいとも考えています。
社会的にLGBTQの支援や居場所を発信していきたいです。
ー hospassを通して、メッセージをお願い致します。
元々は、志を持って医療職になった人が多いかとは思います。
癒しを提供する側なのに、いつの間にか自分への癒しがなくなってしまっている人がいる気がしています。
そうなった時に、別の切り口から自分を見ることも大切だと思います。
自分で自分を苦しめる必要はなく、自分の可能性を信じて生きて欲しいです。
1番に「自分の中の幸せって何だろう?」と、幸せを探す旅を楽しんでもらえたらと思います。
ひとりひとりのカラーを大切にすることが、今後の未来に必要だなと感じています。
そのためには、個々のファン作りが大切だと思っているので、個人のカラーを大切にする人たちをたくさん作っていけたらいいなと思っています。
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