お母さんと赤ちゃんが助産師を育てる。【佐藤亜紀 / 助産師】

佐藤亜紀(助産師)

助産師として多くの経験を積みながら現在は恵比寿にて助産院を開院。
助産師を育てるために、お母さんと赤ちゃんを成長させる。
もっと助産院や妊娠知識が多くの方に届くように活動されている。

 

ー 助産師になろうと思ったキッカケは?

高校の保健体育の授業でお産の瞬間のビデオを見たときです!

10ヶ月の経過を追ったVTRを見て、「なんて素敵な現場なんだろう。」って思いました。

命の誕生に触れられるのってすごい!と本当に感動して

その時に助産師になろう!って決めました。

まさに高校時代はターニングポイントの瞬間でしたね!元々、医療業界には関心はあったのですか?

実は、父親が医療関係の仕事をしていました。

その影響もあってか、昔から医療関係の道に進みたいと思っていました。

選択肢の中で看護師の道も考えたのですが

看護師は介護の仕事が多いイメージがあり、ピンと来なかったんです。

そういった経緯もあって、助産師への道を歩み始めました。

  

ー 大学時代はどうでしたか?

私が通っていた大学では、在学中に助産学専攻をできる学校だったんです。

成績の良い生徒のみが、大学在学中に助産学の勉強が出来るとなっていたのですが

私は学力が少しばかり足りなかった事と、将来はアメリカ留学も考えていたので

大学在学中は専攻から外れてたんです。

大学の助産学専攻は国家試験対策メインであった事もあり

卒業後に通い直して、しっかりと学ぼう!と決意して

卒業後に改めて助産師の学校へ通い、助産師の資格を取りました。

ー 助産師実習の苦労話ってありますか?

実習は結構大変でしたよ!

今とは時代が違うかもしれませんが、お産待機というものがありました。

朝までの待機があって、そのまま学校に行って授業を受けるっていうサイクルでした。

本当に辛くて、二度と戻りたくないと思いましたね。

どのくらい体力や時間を有効に使うかを考えていたため、学校へはジャージで行っていました(笑)

実習を乗り切るコツは根性です!

 

ー 卒業後の進路は?

助産師の学校に通っていた千葉に残るか、地元に帰るかで迷いました。

学校では【自然分娩が良い】という形で教えてもらったんです。

なので将来は助産院を開業したいと考えてました。

そのため開業するなら地元だなと思って、地元の父の勤めていた病院に就職しました。

なので新卒では特に給与や職場内部について考えず就職しましたね。笑

助産師としてスキルアップをしたい私だったんですが

実際の現場は全く想像していたものと違いました。

大学病院は新人教育がしっかりしていたので

1年目の助産師にお産介助の仕事が回ってくるのは、年の後半に入ってからでした。

それにハイリスク妊婦が多い病棟で、当時の私には理想と現実のギャップが大きかったですね。

ハイリスクでベッド上安静を余儀なくされた妊婦さんが多くて

ベッド上排泄の介助などが主な仕事でした。

寝たきり妊婦さんの生活介助で1日が終わる毎日でした。

その後お産などの経験も増やすために、個人の産科クリニックに転職しました。

ー 転職した経緯

思いつきで産科クリニックへ面接に行ったんですよね。

ちょうど目に入ったクリニックが助産師を育てたいと考えていたようで、運よく新卒でも雇ってくれました。

実家暮らしだったこともあり、特に給与面は気にしたことがなく

給料の話も一回もせずに就職を決めましたね(笑)

中で働いてみると看護師長からの嫌がらせが多かったです。

私が入るまでは、看護師長がクリニック内で唯一の助産師だったんですよね。

なので、新卒で助産師資格を持っている私の事が気に入らなかったのかなと思います。

他にも事件がいくつかあって…笑

後輩との夜勤だった時に、事故が起こってしまって

看護師長が全く後輩のフォローに入ろうとしなかった出来事があって

部下を守ってくれない上司ってどうなんだろう?と感じてしまいもう我慢の限界で、、

このことを院長に直談判して、その後クリニックを退職しました。

その後は2年間、総合病院に勤めました。

 

ー 独立のキッカケとなった修行時代

実は助産師が代表をしている整体師の学校があって、そこで助産師1年目から手技を学んでいたんです。

その手技の住み込み合宿があって、毎年大人気で定員が沢山なんですが

たまたま空きが出た段階で、お声をかけて頂いたんですよね。

そこで思い切って、仕事を辞めて合宿へ参加したんです。

合宿が終わったら地元に帰って開業しようとい考えて

店舗を構えるのに必要な土地も用意していたんですが、合宿の後半で患者を徐々に任され

「見学していても実力はつかないから」と経験を積むために

新規のお客さんや訪問を希望しているお客さんを私につけれくれたんです。

今担当している患者さんを、今後も見ていきたいと思うようになって

地元には帰れず、東京で開業する事になりました。笑

ー ついに助産院を開業

開業してからは体力勝負な部分がありましたね

ありがたいことに開業当初から口コミでお客さんを集めることが出来ていたんです。

なので、自分の仕事時間を自分で管理することがとても大変でした。

働くとなると、いつまでも働ける気もしてしまって…笑

こうやって開業出来たことを本当に嬉しく思ってます。

ー 現在の仕事のやりがいは?

毎日が学びで、毎日試行錯誤、毎日が手探り、毎日一喜一憂です。

常勤で勤めていた当時は、お金なんていらないから

妊婦さんの傍にずっと寄り添っていたいと思っていました。

独立してからも毎日学びが多く、毎日試行錯誤して一喜一憂しています。

そんな経験から、常勤で働いていた時よりも

妊婦さんに本当の意味で寄り添うこと出来ていると思います。

介入当初は、依存体質だったり、鬱になっていたりした妊婦さんが、

介入しているうちに独り立ちをしていき、「そろそろ2人目も考えています。」と相談してくれる事もあります。

「うちの子〇〇って言われたんですよー!」と子供の成長を報告して頂けるも、母親として成長していることが、見えるのはとても嬉しいですね。

ひなたで育った子供たちもきっと私のことを親戚のおばさんと思っている感じも嬉しいです(笑) 

 

ー ひなた助産院の名前の由来はなんですか?

ひなた助産院のひなたは【暖かいイメージ】を表現しています。

日向ぼっこをしているような落ち着く温もりでお母さんたちを包んであげたいという想いがあります。

赤ちゃんとお母さんが幸せになってくれたらそれでいい。そのためならなんでもします!という心構えです。

  

ー 今後の展望は?

現在、私の助産院に来る方は比較的、お産に対しての意識が高いお母さんが多いです。

私自身もっと多くの人に介入していきたいと考えていて

妊娠から育児の知識を、オンラインでも発信していければ良いなと思っています。

現代では【助産院は意識の高い人が行くところ】というイメージになってしまっていると思うので、

この部分で、もう少し誰もが取り入れやすく出来るようにしていきたいです。

まずはメディアを使って、お母さんを育てたいです。

看護師や助産師を育てるよりも、お母さんを直接育てた方が早いと思うんです。

出産に関しても、妊婦さんからの発信で医療の現場を育てていけるようにしたいと考えています。

医療現場のスタッフって忙しくて、意外と情報が遅かったりするんですね。

最新の子育てや妊婦さんの使っている道具情報をキャッチするにしても

日頃の業務に追われている影響か、情報が届かない事があるんです。

なので、お母さんに直接教えた方が早いんじゃないかなと私は思っています。


そのため、情報がしっかりお母さんたちに届くように

メディアやYouTubeを使っていきたいなと考えています。

お母さんが助産師を育てる。そうしたら医療の現場でも相乗効果が生まれるかな。

なんて思っています!そのために私自身、精進していきます!

hospassを通してメッセージをお願い致します!

後輩たちに「勉強しろ!」と伝えたい!

実は周りからは資格マニアと言われていました。

自分が何かの職人になりたかった部分もあり、とことんいろんな勉強をしたんです。

自分自身が何でご飯を食べていけるかわからないと思っていたので

色々な勉強会に参加して、良し悪しを自分の目で判断しました。

何かになりたいなら、お金を使って勉強したら良いです!

お金は使ったら、戻ってくるんです。


佐藤さんが開業している【ひなた助産院】はこちら!

取材記事を掲載したい方へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です