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喜田さんが医師になろうと思ったきっかけを教えてください!
母から「資格は持ってた方がいいんじゃない?」と言われたからなんです。
小さい頃から医師になろうと思ってたわけではなく、使命感を持っていたわけでもないんですよね。大学受験時に将来について考えたところ、母親から女ひとりで生きていけるよう何か資格を持ちなさいと言われたんです。
学生の時、国語がものすごい苦手で、数学や物理がすごい得意だったんですよね。なので大学は理系しかいけないなって感じでした。理系の中で資格や免許となると、医師や薬剤師がいいかなと思って、医師を目指しました。
大学受験ももちろん大変でしたが、医師になることは自分で決めたことだったので、諦めずに最後までやり切りましたね。
医学部入学して、学生生活はいかがでしたか?
勉強は大変でしたが、とても楽しかったです!
大学は一言で言うと楽しかったですね。もう一回行けって言われたら行きます。医学部の勉強も楽しかったです。最初の1・2年は一般教養なので全然面白くなかったんですが、3年生になって専門の勉強が始まり、どんどん面白くなって、どんどん専門性が上がっていったのでとても楽しかったです。
5・6年生になると実習が始まって、病院の先生に指導してもらいながら患者さんと接する機会もありました。学生なのでいろんな科を回ることが出来て、科によって雰囲気も違うし、自分自身向き不向きが分かりましたね。
精神科だと雰囲気が合わないなとか。外科だと体力勝負で大変そうだななど。肌で感じることが出来たのがとても良かったです。
その時に産婦人科が面白くて、今につながりますね。
産科って唯一病院の中で病気じゃないところなんですよ。出産に立ち会えて、すごくおめでたいので。そういったところに面白さを感じました。また、私が学生の時はまだまだ女医さんが多い時代ではなく、その中で女医を活かしていけるという事が大きかったです。
私たち医師は卒業と同時に医局に入らないといけなかったので。今は研修医制度があり、卒業後2年間は様々な診療科を回るのですが、私たちが学生の時はすぐに決めないといけなくて。研修医といえども、産婦人科の研修医でしたね。
国家試験勉強も大変でしたが、仲間と一緒に乗り切りました!
仲間がいたので何とか乗り切れたって感じですね。例えば大学受験とかだと自分1人の戦い、周りみんな敵。でライバルみたいになるじゃないですか。
でも、国家試験の場合は【みんなで一緒に頑張ろう、みんなで一緒に合格しよう】って感じで。特に人数制限があるわけではなく、皆合格基準の点数を超えたら合格なので。仲間と力合わせて頑張りましたね。
医局に入局してからの仕事はいかがでしたか?
学生の頃に思い描いていたものとは、かなりギャップがありました(笑)
医局の先生達は、医局に入ってきて欲しいので甘い言葉で誘ってくるんですよ。学生たちに物凄く優しくて、ご飯などもご馳走してくれたりするんですが、入局したら家畜のように働かされました。笑
ほんとに『もうお前たちは牛や馬と同じだから』と、そのぐらいのことも言われて。泣
医師は24時間365日いつ呼ばれても行かなきゃいけないので、かなりハードでしたね。産婦人科なので当直がすごい多いんです。一般的に大きな病院だと外科系当直1人、内科系当直1人、小児科に産婦人科当直1人ずつなんです。
外科系だと、外科・耳鼻科・整形外科などいろんな科の医師で勤務を回すんですが、産婦人科の当直は産婦人科だけで回さないといけないので、週の半分以上は当直してました。全然自宅に帰らず、病院で寝泊まりしてました。
あと学生と全く違うところは【責任感】ですね。研修に入って3ヶ月位でお産を任されます。当時は人材も少なく、今とは違うと思うんですが、研修医3ヶ月目で1人でお産を診ないといけない時、ものすごいプレッシャーで。
3ヶ月前まで学生でしたが、嘆くわけにも行かないので、当時は必死で勉強しましたね。
学生の時よりも研修医になってからの方が段違いで勉強しましたね。
いろんな症例や症状を見てきた中で印象的なことってありますか?
重症の患者さんの出産を無事終えることができた時は感動します!
大学病院の産科でも切迫早産などで入院される方もいらっしゃって、重症の場合は点滴をしつつ、ベッドで絶対安静を何ヶ月もする必要があったりするんです。妊婦さん本人は病気とかではないんですが、歩くと赤ちゃんに負担がかかってきてしまったり、予定とは全く違う日に陣痛が起きてしまったり。
やはりそういう方の赤ちゃんが生まれて、『先生抱っこして下さい!』と言われると感動しますよね。無事生まれてきてくれた!みたいな。
こういう体験は、本当に患者さんと一緒に喜べます。産婦人科って素敵な科ですよね。
研修医を終えられて、その後はどういった流れでしたか?
最初に勤務していた病院では、3ヶ月毎に転勤がありました。
最初はいろいろなところに行きました。京都以外にも滋賀県や、京都市内のみならず舞鶴など。ほんとに3ヶ月ごとに引っ越ししてましたね。
プラス忙しさもあったので、患者さんに親身になってあげられなくなり、徐々に「私が思い描いていた医者と違うぞ。」と思い、一旦産婦人科離れることにしました。
そんな時、美容も含めて自由診療に興味がありましたが、まずは形成外科で経験を積もうと思いました。手先が器用なので、縫うことや傷を綺麗に治すなどが好きだったので、形成外科が経験できる京都大学の医局に移り、3年経験を積んでから東京へ移りました。
東京進出して美容外科で美容全般を学び、その後別のクリニックにも行ったんですけども、やはり婦人科系に最もやりがいを感じ、開業を決めました。
開業しようとは決めてたんですか?
全く考えてなかったです(笑)
開業の“か”の字も考えてなかったです。特に私は計画して動くタイプではなくて、衝動的に動く感じなので。だからとりあえず行動に移しちゃってますね。
開業に至るまでは動き始めてから大体1年くらいで形になりました。開業専門のコンサルの方にお願いして、場所・物件さえ決まれば後は早かったですね。
経営に関しては、当然のことながら患者さんを診るだけじゃなく、雑務もあり。コミュニケーションが大事だなと思いました。スタッフとの付き合い方や人員配置など、こんなに難しいのかと思いました。
開業して10年経営されていて、経営のコツなどはありますか?
スタッフたちに「仕事が楽しい!」と思ってもらえるようにすることですね!
スタッフ自身にも「仕事楽しい!」と思ってもらえるようにすると、いい気持ちが患者さんにも伝わっていきます。なので、できるだけ楽しく仕事をしてもらえるようには心掛けています。
開業当初はとにかく誰でもいいから来て!という気持ちでした。笑
ほくろ取りやクーポン配布なども工夫しましたね。なんとかそこから婦人科系に繋げたり、っていう事をやってました。
これからの展望はどのように考えていますか?
婦人科系のお悩みなどを口に出せるようになって頂けたらいいなと思っています。
いまだに婦人科形成がどういう内容か知られてないところが多いので、とにかくいろいろ発信していくことが今後の目標です。治療すれば治せることを知らずに悩んでいる人も多く、諦めてしまいがちなんですよね。なので最近はいろいろセミナーや講演会をさせてもらい、少しでも多くの方に情報を届けるようにしてます。
昔だと、デリケートな話はしちゃいけないような雰囲気がありましたが、最近だと様々なところでオープンになってきたので、当たり前のようになってくれたら良いなと。
今はYouTubeを始めて動画を出したり、公演やセミナーをインスタライブで流したりしてます。
長い期間ひとりで悩んで来院時には泣いていた患者さんが、治療後には一気に表情が明るく笑顔になるんです。この時が私の最もやりがいを感じる時ですね。
ひとりでも多くの女性を笑顔にできるように、これからも美容婦人医として活動していきたいと思います。
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