病院での時間を、大切な人との時間に。【冨樫麻美 / 管理栄養士】

冨樫麻美 (管理栄養士)

栄養士資格を習得後、実務経験を経て管理栄養士資格を取得。
急性期〜地域密着型病院と3施設の臨床経験から感じた
栄養指導に関しての重要性を伝えたいと、現在も個人で積極的に活動している。

今回は管理栄養士免許を持ちつつ、個人で栄養指導などの活動されている冨樫麻美さんを取材させていただきました!

この記事の見どころ
  • 病院で配膳時間の遅延が許されない理由
  • 【栄養指導】という観点の必要性、重要性について
  • 冨樫さんが今後伝えていきたいこと、変えたい社会とは

それではどうぞご覧くださいー!

管理栄養士を目指すことになったきっかけを教えてください!

私が3歳の時に母が食育を始めたことがきっかけなんです!

元々私は身体が弱くて風邪を引きやすい体質で、母が独学で栄養素を考えながら食事を作ってくれるようになりました。

小さい頃から5大栄養素の話を教えこまれてきて、小学校低学年の時から「身体は何でできているの?」って母から言われて(笑)

まだ幼かったので、ふざけて骨や筋肉と答えていたのですが、母からは「じゃあ骨や筋肉は何からできているの?」と言われて(笑)答えは必ず身体の全ては食べ物からできていると言うことを徹底的に叩き込まれてきました。ちょっと変わった環境でしたね(笑)

進路を決めたのは高校3年生の夏ですね。だいぶ遅かったと思います。

本当は高校卒業したらそのまま働こうと思っていたんです。早く自立したくて、高卒でもキャリアがあれば良いと思っていました。

でも母に「家を出るときは、自分で自分の健康管理ができて、家族の健康を守れるようにならないと一人暮らしはさせません!と言われてしまって、当時真面目で素直だったので、パソコンを開いてそのまま「栄養、短大」と調べ、進学することを母に伝えるとすごく喜んでくれて

ひょんなことがきっかけで栄養士を目指すことになったんですが、栄養学にはまっていたわけじゃなくて、実際は一人暮らしをするために短大に行きました。(笑)

学生生活はいかがでしたか?

入学当初からほんと感化されて、心から管理栄養士になりたいと思うようになりましたね。

栄養士資格の上位に、管理栄養士資格があって、当時の学長から『栄養士は管理栄養士に遣われる。上があるんだから上を目指しなさい』という言葉がすごくかっこよくて、「私、管理栄養士になる!」となりました。(笑)

理屈を理解することがすごく楽しくてハマりましたね。栄養学を学べば学ぶほど、身体の中で結果が出るから良いんですけど、口に入れてはじめて変わるみたいな。

ただ、短期大学だと栄養士資格しか取れなかったんですよ(汗)短期大学の栄養士だと実務経験を3年間経てから管理栄養士資格が取れるんですが、働きながら管理栄養士を取ることは合格率低いんです。

私は最終的に「管理栄養士として病院に就職したい。」という強い思いがあったのですが、病院は早番や遅番の勤務体系があり、絶対勉強できないと思ったので、勉強するための時間なども考慮して職場を学校給食に決めました。

実務経験が終わったあとの国家試験は大変でしたか?

すごく大変でした。全てものを犠牲にしました。

大学在学中に管理栄養士の国家試験を受けると、合格率は80〜90%なんですが、就職した後で国家試験を受ける方は合格率10%程度なんです。

なので生活中の余暇時間をほぼ全て勉強にあててましたね(笑)電車に乗ってる時も歩きながらでも勉強していて絶対受かりたくて勉強漬けでした。

国家試験に合格した時は、頭の血管が切れたと思うくらい、ボワーっ解放された感じでしたね。その合格発表もネット上で見れるんですけど、自分で見れなくて、職場のチーフが代わりに見てくれました(笑)

管理栄養士として就職してからはいかがでしたか?

管理栄養士資格をとってからも問題だらけでした。(笑)

国家試験に合格したから、学校給食をやめて、ハローワークに行って管理栄養士が働ける病院を調べていたんですけど、【栄養指導をする条件として実務経験5年必要】と書いてあって。(笑)

管理栄養士の資格を持っていればいつでも病院で雇ってもらえると思っていたんでけど、よく考えてみたら新人栄養士に大事な患者さんを任せれるわけがないですよね。

当時運良く、契約社員でマルチに動ける管理栄養士を育てたいと考えている病院を見つけて、その病院では栄養指導や様々な病院食も作成しており、そこに就職しました。

現場で働いている管理栄養士さんは、無駄な動きがひとつもなくてめちゃくちゃかっこよかったですね。

病院食にもたくさん種類があるんです。糖尿病食は1400kcal、1600kcal、1800kcalなどカロリーが決まっていて、減塩食やタンパク食などもあります。全部別作りするので大忙しで作業をして、配膳時間が遅れたら医療事故並みに反省します。

例えばですが、配膳が遅れると【患者さんのインスリン注射時間が変更になる】んですよね。これって患者さんとしては結構リスクが生じてしまい、低血糖症状などの危険性があります。そのため配膳時間が遅れると反省が必要となるんです。

栄養指導についても大変で、台本作ってカタゴトになりながら頑張って説明していました。一生懸命に説明しているのに、患者さんから「私はもう食事を制限してまで生きたくないから帰ってちょうだい」って言われて、嗚咽になりながら非常階段で泣いていたこともあります。(笑)

そんな中、転職を考えたのはいつ頃でしたか?

仕事に慣れてきて、ふと思ったんです。このままじゃ患者さんを救えないなって。

仕事は栄養指導を1日5件くらいして速い段階で覚えられました。

ただ、「やってもやっても終わりが来ない。」と思った時、「患者さんに栄養指導をした後の生活がどうなっているかわからないこと」や「食生活を変えて身体が変わったあとの支援ができない」と言うことに滞りを感じて入職して1年で転職しました。

当初勤めていた病院は急性期だったので、「慢性期だったらもっと深く患者さんと関われるんじゃないかな」と思って、慢性期病院へ転職しました。

慢性期病院は、1回ずつ患者さんと1時間ゆっくり話せましたが、栄養指導してそれっきりという状況は変わりませんでした。

栄養指導に使う資料にイラストや画像を入れてアレンジしてみたり、患者さんの心理状態を理解できるように本を読んで勉強したりして

「調べればわかるような情報じゃなく、もっとわかりやすく印象に残る栄養指導をするにはどうしたらいいんだろう?と考えながら仕事をしていたらあっという間に3年が経ちましたね。(笑)

看護師さんから、「冨樫さんが栄養管理してくれた患者さんの栄養状態があがったよ!冨樫さんすごい!」という報告も届いて、手応えを感じた3年間でした。

ただやはり、退院した後の患者さんがわからないことが心残りで「地域密着型の診療所だったら今よりもっと支援できるかもしれない。」と考えて3回目の転職をしました。

3つ目の職場は栄養指導がほとんど来ない場所だったんです(笑)

新しい職場は栄養指導が月1件でしたね。なので栄養指導は診療報酬が付くこともあり、「次の受診の時に栄養指導に回して欲しい!」と医師の方々にアプローチすることを始めました。

栄養指導は医師の指示の下行う必要があるので、医師の指示書が必要なんです。

だた、ある日の朝礼で院長医師が「今日は雨で患者さんが少ないのでたくさん検査をお勧めましょう」と言った時があって目が覚めました。

「患者が薬をもらいに来なくなったら、病院に利益が出なくなる。私がやってきたことは病院の収入になることだけで、結局患者がまた薬をもらって帰るだけでなにも変わらないのかもな。と思いました。ある意味気づかせて貰った病院ですね。この病院にも3年間勤めて退職しました。

今後伝えていきたいことはなんですか?

自分の命を主治医に預けるのではなくて、自分で管理できて、正しい知識を提供していきたいです。

一人一人食べる物や栄養素を注意するだけで、医療費を減らせると思うんです。今後の世の中を引っ張っていく子供達の税金を減らせるかもしれない。病院がどういうふうに回っていているのか、考えるきっかけになれたらいいなと思っています。

食生活を見直すのは、大変で労力を使いますが、得た知識は必ず自分のものになるし大切な人のためにもなります。

食事は身体への投資だと思って積み重ねていけば、時間もお金も身体の自由も手元に残る。そのような事を今後も伝えていきたいです。

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